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PRODUCTS STORY

器×お酒
玉木酒店 玉木秀典 × 陶磁器活動家 小平健一 酒と器の余談会

<今回の参加者>
玉木酒店 玉木秀典
陶磁器活動家 小平健一
株式会社ユープロダクツ 代表取締役 平子宗介
PRODUCTS STORE店長 長山晶子
インタビュアー・編集者 笹田理恵

<場所>
玉木酒店(岐阜県多治見市本町4-46)


2022年6月18日(土)からPRODUCTS STOREで開催する「yield展」では、岐阜県土岐市の窯元・兵山窯で約40年前に作られていた磁器製品を展示販売します。その中で波の絵付けが施された徳利と盃は、象徴的なプロダクトだと私たちは感じていました。

今回、玉木酒店の店主・秀典さんが選んだお酒と兵山窯の酒器をセットにして販売するにあたり、この酒器が作られていた時代背景に思いを馳せました。文化とともに移り変わるお酒と器の「余談」たっぷりな座談会をまとめます。

▶兵山窯の座談会はこちら → https://news.products-store.jp/products-story/hyozangama/

【器×お酒  玉木酒店 玉木秀典 × 陶磁器活動家 小平健一 酒と器の余談会】
01

お酒との関わりが華やかだった時代に

兵山窯が40年前に作られていた磁器の徳利を見てどんなことを感じますか?

小平 : 80年代だね。おそらく兵山窯さんはもっと前からこれを作っていたんだろうけど。

玉木 : 僕が10歳ぐらいの頃。その頃はうちの親父も宴会ばかり行っていた。こういう徳利は宴の場で使っていたよね。いまは、そういう集まり自体が無いような気がする。

長山 : それはどういう集まりなんですか? 仕事のお付き合いとして?

小平 : いわゆる「旦那衆」。昔、「男の人の仕事は旦那衆の集まり」とも言えるくらい大事なものだった。サロンのような文化ですよ。そういう風習があったからこそ、こういう徳利や盃も売れていたんでしょうね。

玉木 : 何かと理由をつけて酒の席で集まって、家で飯を食わない人がたくさんいた時代。著名な陶芸家の先生たちが来る店には、陶器商の人たちも通ってサロンになっていた。だから、そういう作家さんたちとの交流の場でもあったよね。いまは多分そんなところが無いんですよ、多治見には。

小平 : それが景気とともになくなっていった。

平子 : 次の世代には風習が受け継がれなかったんですね。その宴会でも基本的には燗酒が出てくる演出だったんですか?

小平 : そうですね。だから飲食店にはお燗番(かんばん)という燗付け(日本酒を加熱する)専門職の人がいました。徳利の口を触っただけ、お酒の表面の上がり下がりだけで温度が読める職人。

玉木 : おでん鍋のようなものに、徳利をいっぱい入れて燗を付けていたよね。

昔はそういう社交の場に向けて、お酒、酒器が大量に出荷されていたんですね。

小平 : そうですね。そういう席に徳利があるんです。全国的に見ても、男性が夜に宴会する文化のピークはおそらく昭和40年代なんですよ。僕が前に勤めていた土岐市の窯元・カネコ小兵は、徳利が一番売れていたピークも昭和40年代。そこからずっと生産量は減り続けています。小兵さんが作っていたのは、造り酒屋さんの印が入った徳利だから「大関」とか、灘や伏見で造るお酒のおまけで出荷先はほとんど業務用。当時は一番お酒が出ていたし、飲食店でお酒を飲むこと自体が一番華やかだった時代ではないかと。

玉木 : うちの店内にある「大関」の看板は、年間で100石(こく)売るともらえた看板なんだって。1石は一升瓶で100本分だから、年間で一升瓶1万本も販売していた時代がある。

平子 : ものすごい量ですね…‥!

【器×お酒  玉木酒店 玉木秀典 × 陶磁器活動家 小平健一 酒と器の余談会】
02

移り変わる文化とものづくりの間で

社交の文化としても、徳利は必要な道具だってことですよね。

玉木 : 多分、徳利が一番絵になったんですよね。

小平 : 徳利の成り立ちとしては、注ぎ・注がれることもなんだけど、機能としてはお燗付けるための容器だった。あとは、一升瓶から注ぎ分けるため。日本酒を一人分に分ける、温める、厨房から客席に運ぶための道具だった。

平子 : 燗酒が主流だったのは、冬に暖まりたいからという主旨ではなく?

小平 : 燗酒の流行りは江戸時代で、そのあたりから庶民も飲むようになった。夏でも燗酒。

玉木 : 夏でも燗酒しか飲まないお客さんはいますよ。

平子 : 日本酒を燗に付けるメリットって何ですか?

小平 : 冷たいものを飲み続けるよりは体への負荷が少ないとか、内臓の吸収・分解が早い……つまりお酒の抜けが早いんじゃないかな。

玉木 : アルコールを分解するとき、燗酒だと体温に近いから早い段階で分解し始めるけど、冷酒だと温度が上がらないと分解しないからその間に飲みすぎちゃったりするのかも。

小平 : 江戸時代から長い間、日本酒は燗を付けて温めて飲むスタイルが主流だった。実は、世界に目を向けても醸造酒を温めて飲むものって少ないんです。

そこまで長い間、主流の飲み方だったのになぜ燗を付けるという文化が薄れているのでしょうか?

小平 : たぶん第一次地酒ブームからじゃないかな。それまでは、安価な酒で燗に付けてたくさん飲むという楽しみ方が主流だったけれど、地方の酒蔵がその風潮から何とか抜け出そうと地酒ブームが起きた。丁寧に造り、付加価値を上げていく活動の中で大手酒造メーカーとの差別化を図り、高級酒が売れたり、酵母が発達したりしていった。

玉木 : あれは30年ぐらい前だね。第一次ブームは新潟から始まった。1升瓶(1,800ml)より4合瓶(720ml)が主流に売れ始めるようになった時代でもある。

小平 : そこから冷で飲むとか、味よりも香りという流れが始まった。

徳利自体はどんな流れで生まれたものでしょうか?

小平 : 元々、お酒は瓶(かめ)で貯蔵してあるものから木の葉、ヤシの実、牛の角、竹筒とかで汲んで飲んでいた。日本では、土器ができた時から「かわらけ」と呼んでいた。

玉木 : 今でも神社の厄除け行事でかわらけの酒杯を割ったりするよね。

小平 : 徳利になる前に「お銚子」と「瓶子(へいし)」という流れがあって、瓶(かめ)から汲んで注ぐのがお銚子。それから神様に供えるための小さい瓶が瓶子だった。この瓶子がだんだん徳利に進んでいって、運搬用に使われる流れで生まれたのが酒屋の貸し出し容器の「通い徳利」、燗を付けるための道具になったのが徳利。大きい徳利、小さい徳利で、通い徳利と燗付け徳利に分かれていった流れではないかな。

玉木 : うちは昔、この通い徳利でお酒を入れていた。多治見の高田で作られたものらしい。

平子 : これは貴重ですね。電話四番!

小平 : 高田では、たくさん通い徳利が作られていた。その背景を伺ったら、高田にはきめが細かく水漏れせず、安価で良質な土があった。その上、低火度で焼けたから安くて大きいものを作るのに最適だった。水が滲みないという機能の強みがあったから、結果として大きい通い徳利や湯たんぽに強くなっていったんじゃないかと聞いています。

平子 : この通い徳利を玉木さんが顧客に貸し出し、お客さんはこれを持って玉木さんのお店に汲みに来るんですね。

小平 : あれですよ、スターバックスのタンブラーと一緒ですよ。

玉木 : 昔は300ミリぐらいの瓶もいっぱいあった。それをみんなに渡していたって。

お酒にも移り変わりがあるように、酒器もどんどん変化しているんですね。実際、美濃で徳利を作るメーカーは激減していて、兵山窯でもいまは違うものを主力とされている。そういった変遷が窯元それぞれにあるのでしょうか?

小平 : 間違いなくある。変化しないと続けられない。1代目が始めたものづくりも、2代目、3代目……と会社の中身が入れ替わったかのように変化しているはず。だからこそ、昔作っていたものも保管しておいた方がいいですよね。世代が変わると「ほかっときゃあ(捨てておきな)」って捨てられがち。

長山 : たしかに、兵山窯さんの磁器もかなりの量を廃棄したとおっしゃっていました。それでも思い入れがあって捨てられずに残していた分を、今回yieldの取り組みとして再提案させてもらっています。

平子 : 兵山窯さんも、美濃焼の量産化が進んだ時に注文が減って、もう磁器では生き残れないという逼迫した状況だったそうです。その時の技術は残していたら価値のあるものだったはずだけど、世の中が大量生産で安いものに傾倒したことによって、良いものが評価されないという流れもあった。こういう移り変わりも含め、体系的に産地の情報として残していかないともったいない。当事者に話を聞くことで立体的にアーカイブできると思う。

小平 : そうですね、たとえば盃の、こんな細い線をシュッって一瞬で引けるのは、いま考えるとすごい技術なんです。

長山 : 手で引いているとは思えないくらい美しい線です。

小平 : 当時は、こんな細い線が引ける人はゴロゴロいた。線が引けるだけの人なんか絵描きさんとも言ってもらえないぐらい技術として評価されていなかった。今では、絵付けや判子、銅板もほとんどの人ができない。あの頃、普通に近所のおばちゃんたちがやっていた仕事は大した技術じゃないと思われていた。

昔は大衆的な仕事だったんですね。そういった手仕事も、大量生産で似たものが作れるようになって衰退したのでしょうか。

小平 : そう。ところがその技能・技術も大量生産で成り立っている。たくさん作るためのマシンを作って、人間がやることを機械に置き換えられたけれど、今度は付加価値を上げたり、少量多品種に対応するためには、小分けにする技術革新や小さく自動化する必要がある。でもその段階では事業規模として縮小しつつあるから投資するお金がない。だからといって手仕事にもう一度戻していくのは難しい。

平子 : 生産数や規模を維持しながら、少量多品種に対応できる工場に変化した工場もあります。そこに投資と工夫をされたんですよね。

小平 : そう、どう賢く小さくなるか問われている時代だと思う。

【器×お酒  玉木酒店 玉木秀典 × 陶磁器活動家 小平健一 酒と器の余談会】
03

酒を「酌み交わす」ことによって生まれるコミュニケーション

文化とともに消えゆく道具がある中で、酒器である徳利も珍しいものになってしまうのでしょうか。

長山 : 若い世代は、徳利でお酒を飲む経験をしたことがない人が多いと思います。

玉木 : お酒を飲んでいる最中は、徳利の細い口に入れるのが大変だったりして、実は僕自身も使っていないんだよね。飲食店さんで使われなくなったら徳利はなくなっていくのかもしれない。

小平 : お酒の提供の仕方として、徳利とお猪口で飲む、注ぎ、注がれつつ飲むようなスタイルが一つのイメージ。お酒の文化には、ルールや習わし、形式がある。それをどうリデザインするか。どのルールを残してどこを面白くするか。酒器をデザインするとき、これをずっと考えていました。

玉木 : たとえば、枡につぎこぼしするスタイルの飲み方では「絶対に酒の量が出なくなるからやめた方がいい」という話を僕は飲食店さんにしている。徳利のように、酌み交わす飲み方は量が出る。みんなが「ハイハイ、もう1杯」と注いだらそれだけ減っていくし、いろんなお酒も飲める。

いまは特にお酒の場でもレモンサワーやハイボールを飲むことが増えて、酒を注ぎ合う行為自体がすごく少ない気がします。

玉木 : お酒の場で一献(いっこん)するのは、コミュニケーションとしては必要だったのかもしれない。

小平 : これまた歴史を紐解くと、お酒はそもそも回し飲みするものだった。回し飲みから、一歩進んで酌み交わすスタイルになったんじゃないかな。お酒を飲むことも儀式に近いことだったし。

平子 : 旦那衆の集まりは、特に酌み交わす行為がなかったら成立しない場だったはず。

小平 : 生ビールが普及したのも影響が大きいはず。「各々のペースでいきましょう」という風潮になりましたね。

玉木 : 昔は「まぁまぁまぁ」って、各々のペースじゃないもんね。笑 注いでもらったら飲まなきゃいけないから、僕は酒杯の使い方も変えていた。人と飲む時は小さいやつ、1人で飲む時はちょっと大きいやつ。

小平 : 注いでもらって、口を付けずにテーブルに置くと怒られてた。注がれたら必ず一口つけて。

注ぎ合うからこそ、生まれるコミュニケーションもあるってことですよね。

玉木 : そうだね、なくなると寂しいとは思うけど……いまは強要できないよね。

小平 : その当時は何が良かったんだろう。お酒を酌み交わすことで何が図れて、何が共有できていたんだろうね。

特にコロナ禍で、一人でお酒を飲むカルチャーが浸透したからこそ、徳利を使ったお酒の飲み方を新しい感覚として捉える人もいるかもしれませんね。酒を酌み交わすことで生まれる関係性、心の距離がどう変わるのかを体験してみたいです。

小平 : 親とお酒を飲むのも、お正月や法事の時が多いですよね。

玉木 : 酒を酌み交わすのは一緒の席に座らないとできない。そういう儀式でもある。

平子 : 家で燗を付けたことがないから体験として興味がある。自分で温めてみて、温度で飲み比べてみるとか。

玉木 : ヤカンでも片手鍋でもいい。温度を計ってもいいし、酒が膨張すれば温まったかどうかが分かる。お風呂に入れてあげるように大きい容器にお湯を張って、そこに徳利を入れたら3分ぐらいで温まりますね。それが一番簡単かも知れない。

小平 : あと、やっぱり燗酒は食事に合う。特に魚料理全般。刺身、焼魚や煮魚でも燗酒の方が守備範囲は広い。たとえば冷のお酒だと、麹の香りがフローラルなお酒は刺身に合わないと僕は思う。

玉木 : お酒が勝っちゃうからね。燗酒は香りがフラットになるから。そんなに高い香りがポンとくることがないから、食事とケンカするようなことはない。

小平 : 僕は、人から日本酒のおいしさを教えてもらった。みんなで熱燗グランプリとかやって、日本酒の沼にハマってたんですよね。酒器を作る時に感じたのは、日本酒は食べ物との掛け算が楽しいということ。みんなでオードブルを頼んで「この酒には、これが合う」という食べ比べ・飲み比べはずーっとやっていられる。笑

平子 : 地域の飲食店でそういう体験ができるといいですね。

小平 : フルコースに対してペアリングがセットになっているお店は、フレンチでは主流だけど、教えてもらわなくてもみんなでざっくばらんに試してみればいい。料理人やソムリエだけじゃなくて、実はみんな元々持っている感覚だと思う。

お酒と何が合うのか、個人差があるのも楽しそうです。お酒×食、その違いを味わう面白さを開拓したくなります。

小平 : そう、違いは分かり合える。「お前がそれを選ぶのは分かるけど、俺は絶対こっちの方が」ってちゃんと尊重し合ってね。

最後になりますが、玉木さんはお酒の文化が今後どうなっていくと考えていますか。

玉木 : やっぱりお酒を飲む量は少なくなってきている。昔は「一石飲み」と呼ばれる、年間一升瓶を100本飲むようなお客さんがいたけれどね。

平子 : 量を飲まなくなった反面、お酒自体の価値は上がっていますよね?

玉木 : 30年前の地酒ブームよりも、お酒の価値と質は断然上がっている。いまは、お酒の品質も上がって、とにかく恵まれている時代。ただこれからは原料である米の問題が出てくるはず。ここ何年かが一番いい時かも。いま飲まないともったいない。

平子 : それだけいいものなのに、日本酒は値段が上がらないイメージがあります。すごくお値打ちですよね。

玉木 : ワインは720mlで4,000~5,000円で販売するのは一般的だけど、日本酒で5,000円は高価だと思われる。でも、製造工程はめちゃくちゃ複雑で大変な思いをして造られています。

小平 : 世界中で見ても、日本酒はものすごく高い技術で作られているお酒だと思う。

玉木 : お酒を飲む文化としては、まずは若い子たちにどう飲んでもらえるかを考えています。どう僕らが格好良くお酒を飲んでいられるのか。ぼくらの時代は、親父たちって何か飲まされた感が強かった。いかに「こいつら格好良いな」と若い世代や地元の作家たちに思ってもらえるか。その子たちとお酒飲みながらいろんな話ができたらいいなって思いますね。さらに、その子たち自身が格好良く飲んでくれればたぶん日本酒の文化は広がるでしょう。

小平 : 所作も含めて、格好良く飲んで欲しいよね。

玉木 : 日本酒を飲むことがもっとオシャレで、格好良いことになるとみんな飲むような気がする。

小平さんは器の作り手として、お酒に対してどんな思いがありますか。

小平 : 僕は、みんな日本酒を飲めばいいと思っています。酒器をデザインしている時も「なんで他の酒を飲むんだろう」と思っていましたし。日本酒を飲むと、いろんな地方の酒蔵の人たち、つまり「顔の見える人たち」に貢献できる。だからクラフトビールもいいよね。あとは、みんな量は飲まなくなってくるだろうから、ちょこっとでも食べ物と一緒に楽しむ文化が自然になっていくといいな。

玉木 : 酒器を使って飲むこともそうだし、お酒を通じていろいろなことを体験してほしい。

平子 : PRODUCTS STOREも「誰が作っているか」、「誰がおすすめするか」を通じて、器に愛着を持ってもらいたいと思っています。僕も、玉木さんでは地元のお酒を買い求めますし、小平さんがおっしゃったように顔が見える人のものを頂きたい。玉木さんが交流されている酒蔵さんの話を聞いて、飲むと愛着が生まれるように、人に贈る時にも、ローカルのコミュニティの面白さと顔が見えるといいですね。