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祥風窯×PRODUCTS STORE
たっぷりな座談会

01 父の始めたものづくりから、窯元として生きていくことを選ぶ
02 日展作家としての作品づくり、窯元の製品づくりの両立
03 昭和初期に生まれて生産が途絶えた「精炻器」を作り続ける
04 「どうしたらできるのか?」と考えることが何より面白い

<今回の参加者>
祥風窯 曽根洋司
株式会社ユープロダクツ 代表取締役 平子宗介
PRODUCTS STORE 店長 長山晶子
インタビュアー・編集者 笹田理恵

撮影 加藤美岬

岐阜県土岐市土岐津町。祥風窯の曽根洋司さんは、父の代から始めた窯元の仕事を受け継ぎながら、日展に出品し、美濃陶芸協会副会長も務めています。日本現代工芸美術展では、2024年に最高賞である内閣総理大臣賞も受賞。そして、約50年前までこの地方に息づいていた精炻器(せいせっき)の技術を復活させてつなげるべく「精炻器研究会」の会長としても活動しています。

「伝統とはカタチをそのまま受け継ぐのではなく、時代時代に合わせて伝承していくこと」をモットーに、作り手として、使い手のことを思って商品を開発製造する窯元の仕事と、作家としてのものづくりを兼業する曽根さん。いまなお「仕事は面白い」と言い切る姿はまぶしく、揺るぎない力強さを感じます。

今回は曽根洋司さんを囲んで、祥風窯の成り立ちや日展作家としての在り方、精炻器への思いや産地への問題提起など……話題は多岐にわたりました。未来を感じられる言葉から、胸が熱くなった座談会をお届けします。

【祥風窯×PRODUCTS STORE
たっぷりな座談会】
01

父の始めたものづくりから、窯元として生きていくことを選ぶ

平子 : 曽根さんのお父さんは、農業をやっていらっしゃったんですよね。でも、ものづくりに意欲のある方で祥風窯を創業された。

曽根 : 親父は俺が生まれたぐらいの頃に起業した。それまで多治見の試験場にいて窯焼きが面白そうだと思ったんだろうね。赤土で化粧土を使っていたけれど、周りが大量生産に切り替えようとお金をかけて機械化に向かっていく時代。機械化するってことは磁器の窯元がどんどん増えて競争が激しくなる。さあ、どうするかと考えて多治見の試験場へ相談したり、デザイナーさんにも手伝ってもらったりして変わったことを始めようとしていた。その頃に試験場で色土に化粧土をかける精炻器を見つけたと思う。

長山 : 曽根さんは何歳で祥風窯に入ったんですか?

曽根 : 20歳で京都から帰ってきたが、自分はこの窯に戻って何が出来るか考えていたわけじゃない。親父は試験場で見た化粧土で絵を描く技法を自分もやりたかったし俺にもやらせたら、新しい製品が出来るかもと思っていたんだ。そんな話をした記憶があるが、俺は時間と手間を考え一蹴した。がっかりしたと思う。親父はほとんどデザインができなかったからね。それこそ仕事ばかりで趣味も何もない親父でさ。俺と同じだ。

平子 : 逆に言うと、仕事が楽しいってことですね。

曽根 : 楽しいかどうかわからないけど苦じゃない。ずっとやっていられる。

平子 : お父さんと一緒に働かれた時期も長かったんですね。

曽根 : 20歳で戻って、俺が40歳の時に親父が倒れた。2年ばっか病院に入っていて亡くなった。長いって言っても何にも話してない。でも、その20年は忙しかった。俺が戻って10年ちょっとは景気が良かったし。だから親父は、それこそいい時に去ったと思う。その後にリーマンショックが来て本当に苦しくなって、4、5人いた従業員も雇えなくなってしまった。

曽根さんが20代で窯元仕事に就いて、ここまで続けられたということはやりがいも感じられたんですね。

曽根 : あの頃は、百貨店や商社のデザイナーさんとたくさん話し合いながらものが作れていた。それが面白かったね。俺が20代の時はそんなやり取りが多かったんだけど、そこから20年経つとデザイナーさんを在籍させている商社が土岐や多治見にはなくなってしまった。

【祥風窯×PRODUCTS STORE
たっぷりな座談会】
02

日展作家としての作品づくり、窯元の製品づくりの両立

平子 : 曽根さんは作っていれば売れていく時代から仕事を始めて、いろんな時代を見て来たんですね。

曽根 : そう、めちゃめちゃ忙しかったし晩飯を食ったらすぐに自分の制作をしていた。俺は23歳から日展に出しているから。

平子 : 曽根さんは日展の受賞歴がある上に会員にもなられて、さらに僕らみたいな商社との取り組みで一般家庭食器も作っていらっしゃる。すごく稀有な存在だと思うんです。

曽根 : 日展の先生方は、個展で飯を食べている人と大学の先生が多いね。俺は個展でお客さん集めるのが面倒で。そんなことやっとるなら仕事しとるわって思ってしまう。笑

長山 : でも、今度個展をされるんですよね。笑

器とオブジェを作られる時の脳みそは変わるものですか?

曽根 : そんなこと考えたことない……切り替えているのかな。同じ脳みそだから製品を作っている時も作品のことを考えている。それこそ作曲家や作詞家が寝ている時に浮かんだアイデアを枕元のメモに残すって言うじゃん。やっぱり違うことをやっている時に出るのよ。製品を作っている時も近くの鉛筆を手に取って伝票の裏に覚え書きしたりさ。だから、「はい、これを考えましょう」と構えたことはない。

平子 : 失礼な質問かもしれないですけど、芸術って「絶対」がないじゃないですか。どうしても評価する人の主観があり、審査する先生の傾向もある。僕だったら、自分が満足する作品が評価されなかったら、見た人が悪かったなと思ってしまいそうで。

曽根 : 若い人は全員そう。若い頃って自我がめちゃめちゃあるわけ。俺ならこういう風にする、あれなら……と思っているだけで出来やしないんだけど。でも、その自信みたいなものが一番大事だと思う。

平子 : なるほど。

曽根 : 昔は日展に入れば個展で飯が食えるようになるイメージだったけれど、いまはそんなことはない。若い人が入らないから平均年齢も上がっていくよね。最近では、一般の仕事をしている人たちが定年後のことを考えて、50歳くらいから陶芸教室に通い出す。特に粘土は触っていて気持ちがいいし、やりやすいよね。教室を10年続けた人が日展に出したいと入って来る。だから60過ぎの人しか入ってこない。

長山 : 年齢制限はないんですか?

曽根 : 全然ないよ。別に制限する必要もないし、作品ありき。最近、70歳くらいの人が初めて出して賞をもらっていた。会員が増えるわけじゃないけれど、まだ維持ができているから良い。俺も年齢は下から数えた方が早いから展示会の準備仕事も多くてクタクタだよ。

平子 : 精炻器の取り組みもですが、総じて曽根さんは面倒見がいいですよね。

曽根 : 面倒見がいいっていうか、手放したら無くなる。無くなったらなかなか戻せないから。

平子 : そうですね。誰かが踏みとどまらないと。

曽根 : 精炻器は、やっていて面白いからさ。

【祥風窯×PRODUCTS STORE
たっぷりな座談会】
03

昭和初期に生まれて生産が途絶えた「精炻器」を作り続ける

昭和初期に生まれて約50年前に生産が途絶えたやきもの「精炻器(せいせっき)」。曽根さんは精炻器を復活させ、ふたたび生産を始めた第一人者として、精炻器研究会のメンバーを引っ張っていらっしゃいます。

曽根 : 第一回の精炻器勉強会で修了証書もらったのは75人いたはずだけど、残っているのは俺だけ。窯焼きさんも半分以上おったはずやけどね。精炻器研究会を立ち上げてから最初に入ってきたのがアダチノポタリ。その後にふくべ窯の劔くんたちが入ってきた。教えたわけじゃなくて、彼らはデザインができるからボディを提供していただけだよね。

平子 : 勉強会の修了者が残ってない中、曽根さんが続けられた理由はなんですか?

曽根 : やってって試験場に言われたから。笑 でも、精炻器をやっている人たちはデザイナーになりたくて美濃に残っていた人が多い。違うものを作りながら、夜は精炻器をやってみようかなと思った人たち。俺が器のボディを作ってあげるから絵を描けばいいわけで、今の体制ならデザインができる人なら誰でもできるんだよ。けれど、俺はもう年食っちまったからこの先、どうするかなっていう話。

平子 : そうするとみんな困っちゃう。

精炻器の柄で、モチーフやアイデアにしているものはあるんですか?

曽根 : 化粧土で絵を描く精炻器は、北欧の食器に印象が近付いてしまいがち。ふくべ窯は北欧テイストだし彼らを否定しているわけではないけれど、誰か一人は本来の精炻器らしいものをやってないと北欧のデザインに食われちゃう。俺は精炻器を学んだ第一号だからこそ、和風からあまり離れないように意識している。俺はそれこそ加藤土師萌(はじめ)先生の路線で行けたらいいなと思う。

長山 : 精炻器において柄の定義はあるんですか?

曽根 : 定義はないよ。だから、化粧土の技法を使ってやるなら何をやってもいいよって言っているわけ。あと、型があれば精炻器でもポットを作れたら良いって思っている。マグカップを作っているからポットが欲しいって言う人が多いんだよ。

平子 : うちも一緒にトライしますよ? ポットを作って、しっかり手間をかけたラインとして高価格帯で出してみるのも面白い気がします。

曽根 : かっこいい型を作ってくれたら面白いと思う。シンプルで使い勝手が良くて、口がかっこいいやつが良いな。精炻器のポットがあれば絶対売れるよ。

こういった流れで曽根さんが新しいものに挑戦しているんだと感じました。

曽根 : うん、いいものが欲しいよね。それこそ昔は「B-SIDE」という窯焼きのグループを組んだことがある。俺が40歳の時にB-SIDEを始めて、自分たちでデザインをどう起こしていくか?と考える中で協同組合を作ったわけ。9社の窯元で始めて、後から商社が加わって。そこから「飛びかんな」のシリーズが生まれたし、売り方も考えることができた。面白かったけどクセがあるやつばかりだったよ。笑

平子 : 作りながら売るっていうのは難しいですよね。でも、B-SIDEも含めて曽根さんのものづくり、祥風窯の新しい商品が確立されていった。自分たちで展示会に立った経験が新しい視点も与えたはず。

曽根 : 「どういう風にしたら“売れる物”ができるか?」と考えずに、商社が「これをやってほしい」と持ってくるものを作るだけだと作る側のデザイン力がなくなっていく。例えば、転写でも自分にこだわりがあるわけじゃないから「どういう風に貼ったらいい?」と転写屋さんに聞く。しかも「いま売れている転写はありませんか?」って聞くから、あちこちで同じものが出てくる。

長山 : そうですよね。

曽根 : 昔、展示会で「新しいデザインができた」とみんなが口を揃えて言っていたの。見てみたら半分くらい同じものが並んでいた。結局それは、釉薬屋さんが開発した新しい釉薬を自分のところの器にかけて並べていただけだった。あの光景はびっくりしたよ。俺は同じことをやりたくない方だから、すごく気持ち悪い状況だと思ってしまった。

平子 : 商社も同様です。デザインに投資をすることがなくなり、窯元さんに「何か売れてるのない?」と聞いて、あるものだけを集めて商売してきたんですよね。僕からするとB-SIDEの取り組みは商社へのフラストレーションもあっただろうなとも思う。

「作れば売れる」という良い時代を経て、産地の課題がどんどん可視化されるようになった。目を背けられない状況になってきているのだと感じます。

平子 : まだ産地にこれだけ多くの会社が残っていることは、やきものの強さを表している。逆に言うと、このポテンシャルを生かせば未来があると感じます。

曽根 : でも、まだ原料屋さんと釉薬屋さんに価格などの圧力をかけて安く大量に作ってきたわけで。いまは粘土の価格がめちゃくちゃ上がって、円がこれだけ安くなって粘土はほとんど輸入だから本当に大変だよ。この状況をどうするのかって話。

平子 : 適正利益を増やしていかないと時代の変化にも対応できないし、最低時給で成り立っているような産業構造が問題。先を見たら、その時に売れているものを探してお客さんに提案しているようでは伸びしろがないし、プールできる価値や利益は生まれないはず。僕らもどんどん舵を切っていかないといけない。

曽根 : ユープロさんは自分の会社で型を持ってくれたりもするからありがたいよ。商社さんが「どんなものができるの?」って話をしに来てもらってもいまある型からではさほど新しいものは生まれない。

平子 : 曽根さんにOEMでお客さんの商品を作ってもらっていますが、商品の完成度に対する考え方が全然違う。うちより検品が厳しいくらい。お客さんから求められたものを実現するための技術も高い。

曽根さんのものづくりの意識の高さを感じます。

平子 : 昔の商品を見ても、この灰皿はもう作れない、絵付けもできない……と時代は進んでいるのにできないものが増えている。合理化された中で均一的なものづくりに傾倒しすぎて競争力が減ってしまっていると感じます。

曽根 : つげのハンコを彫る人がいないから裏印が押せないのよ。プラスチック樹脂だと全然押せない。筆も同様。

平子 : 昔の筆はイタチの毛を使っていたんですが、いまはイタチを捕る人がいなくなっていて毛が入ってこない。足元からいろんなことが失われていく。

曽根 : 分業でも無理になってきちゃったよね。

【祥風窯×PRODUCTS STORE
たっぷりな座談会】
04

「どうしたらできるのか?」と考えることが何より面白い

平子 : 曽根さんの経験値は、僕らにとっては本当にありがたいです。作る人に「作りたいもの」があって、1個トライしてみようという考えに至ることは大事だと思っています。でも、産地の現状としてはトライする手前で「できない」という結論になりやすい。曽根さんがトライしてくれたことが無駄骨を折っていただく場合もあり申し訳ないけれど、だからこそ残っている商品がある気がするんです。

曽根 : 俺はどうしたらできるのか、と考えるのが面白くて楽しいからやっているだけで。ただ、金のことを全然考えないからダメだね。見本代を請求してくださいと言われるけど、そんな発想がない。何にも売ってないのに金もらえないじゃん。

平子 : ものづくりの人あるある。笑 でも、見本であっても手間がかかっていますからね。

曽根 : そんなのは何ともないな。でも、そういう経験は自分の作品に生かすこともできるしありがたいよ。俺の中には常に違うことがやりたいという思いがあるんだろうね。それだけで生きているような。

20代から作り続けてもう嫌だな、やめたいと思う場面はなかったですか?

曽根 : ないね。これやめたらどうする?これしかないのになぁ。

平子 : これしかないと思えるものがあるってことがすごい。

曽根 : これしかないのに、家族がいて飯を食わせているのにどうするんや。やっていて面白くて楽しいわけだから別に手放す必要はない。俺はそういう考え方。それこそ窯がもう40年過ぎちゃって替えないとダメ。今はガス窯だけど半分の大きさにして電気窯でやる。やらざるを得ないから。

平子 : 未来の投資をしようという方がいらっしゃるだけで僕らは心強いです。

楽しいと感じるのはどういう時ですか? 漠然とずっと仕事が楽しいと感じられるのか、この作業が楽しいという感覚があるんでしょうか?

曽根 : 作業が楽しいわけじゃないね。「今度こうしようかな」って思うことが面白い。

長山 : 発想するのが楽しい。楽しさが尽きないですね。

平子 : 僕らもトライを続けたいと思いますが、曽根さんからユープロダクツに期待することがあればお聞かせいただきたいです。

曽根 : うーん……、注文ちょうだい。笑

平子 : そうですよね。笑 まずは継続できるような会社にしていかないといけないし、面白いことをやってないと人も集まらない。PRODUCTS STORYの発信もですが、こういう取り組みが会社の色付けになって共感する人が増えたらいいなと思ってやっています。曽根さんが窯のことも含めてまだまだ頑張るという話が聞けたのが何よりでした。僕らも少なくともあと30年はがんばりますので。

曽根 : 本当だよ。

平子 : うれしいですよ。産地の中では「やめよう」という話が比較的多いので。

曽根 : 俺もだんだん疲れてくる。量産だとより疲れてくるしさ……そこが問題になってきたら個展でもやっていく必要があると思う。まあ、元気なうちに精炻器のポットを作りましょうかね。

平子 : ぜひ、それは進めます!