南窯×PRODUCTS STORE
たっぷりな座談会
<今回の参加者>
南窯 工藤工、幸恵
株式会社ユープロダクツ 代表取締役 平子宗介
PRODUCTS STORE 店長 長山晶子
インタビュアー・編集者 笹田理恵
撮影 加藤美岬
岐阜県土岐市の東部に位置する山間のまち・駄知町にある南窯(みなみがま)。主に、織部、志野、粉引、赤絵、安南風呉須絵など伝統的な加飾の器を、一つ一つ制作している手作りの工房です。作り手である工藤工(くどう たくみ)さんは、1966年に駄知町で生まれ、家業の南窯を受け継ぎました。2005年に 美濃焼伝統工芸士として認定されています。
南窯は、使いやすくてどんな料理にも合うものを生み出しています。日々の暮らしの豊かさを実感できる器です。今回は、工藤工さん、妻の幸恵さんと南窯のヒストリーを踏まえながら座談会が始まりました。ろくろによる量産のスタイル、技術をどう残していくのか?というものづくりの可能性についても伺いました。
たっぷりな座談会】
父に師事して、南窯として作陶の道が開く
平子 : 我が家では南窯の器をよく使っています。娘はずっと南窯さんの小さな片口の豆小鉢で薬を飲んでいたり。使い勝手をよく考えられているからだろうけれど、出番が多い器なんですよね。
工藤 : うちの食卓はほぼ100%南窯の器だけど、どの器をどう使っているかを教えてもらえると発見が多いですね。
ユープロダクツと南窯は、いつからのお付き合いですか?
平子 : うちが南窯さんに発注ができるようになったのが2011年くらいだと思います。
工藤 : もうそんなに経つんですか。
平子 : 東京のバイヤーさんをお連れした時に目の輝き方が違っていて、すごく興奮されていたのを覚えています。実際、そのお店で取り扱っていただいて大好評だったんです。
長山 : その時は何を展開されたんですか?
工藤 : 南窯で定番として作っていた赤絵と織部、呉須絵の三種類ですね。ただ、その頃は作ってきたものが動かなくなって行き詰っている過渡期でした。そんな最中に南窯の引き出しを開けて、バーッと世に出してくださったような感覚でしたね。それがもう12年以上も前になるのかと。
平子 : 毎回、インタビューで振り返ってゾッとするんです。ちょっと前だと思っていることが十年前だったりする。笑
工藤 : 自分の中の基準として、一つのお付き合いは3年スパンで変わることが多い。3年経ったら「一度考えましょうか」と離れていく取引先もあります。それが4クールも続いているのはすごいことですね。
幸恵 : 多くの種類を何年も継続してもらえるのは初めてです。
平子 : 時代が追いついてきましたね。
幸恵 : 時代が追いついたのか、私たちがやっと追いつけたのか……。
平子 : SNSの影響もありますが、良い作り手が見つけられやすい時代になったと思います。もっと深く作り手の良さを発信したい。これも座談会記事の趣旨ですね。
最近では、南窯とどのような関わりをしているんですか?
長山 : 新作を作ってもらっています。最近は、上級者向けの印象がある織部がすごく減っているので、一般の方も使いやすい器を作ってもらっています。
工藤 : 今回は単色の織部なので緑色の器として使いやすいと思う。原料不足で量産のベースで作れないものが出てきているように、織部も灰が変わって色が安定せず難しい面もあります。
長山 : 工藤さんが全て釉薬を調合しているんですか?
工藤 : 全て調合しています。以前から使っていた灰の原料がなくて代替の灰に変えたんです。その時に色が変わったし、今回使っている灰も袋ごとに色が違う。
釉薬の原料である灰を取り寄せるたびに、試験して調合されているんですね。
工藤 : 大きくは変わらないですけれど微妙なラインがね。もっとスカッとしてたよな……と細かい話ですけれど。
平子 : 工藤さんのものづくりは、お父様に師事されて始まったとのことですが、元々サラリーマンとしても働いていたんですよね?
工藤 : 最初は紳士服の店員、2社目は展示会の什器の営業をやっていました。店舗企画のつもりで入ったのに什器の組み立てや配送業務が多くて。きっと自分の売りたいものを売る営業なら良かったんでしょうけど向いてないという感覚はありましたね。
長山 : 社会人経験も積まれていたんですね。
工藤 : バブルの余波が残っていた時期だったから、父が「窯焼きの方がいいんじゃない?」と。でも「お前がやりたいならやれば」みたいな言い方だった。
子どもの頃は、家業を継ぐ意識はなかったんですか?
工藤 : なかったです。粘土で手が汚れるし、きれいな仕事じゃないので。インテリアコーディネーターみたいな横文字の仕事に憧れていたんですよ。
平子 : 家業を継ぐと決めて、多治見市意匠研究所(以下、意匠研)で学んだ。
工藤 : やるなら意匠研で学ぼうと。朝から16時まで意匠研で学んで、帰ってきて窯の仕事をしていました。結果、この仕事はずっと続いているから楽しいんでしょうね。
たっぷりな座談会】
道具を全て手放し、ろくろの量産に切り替える
工藤 : ちなみに祖父の代の家業は魚屋さんでした。父は油絵の画家になりたかったけれど、画家では食えないから窯焼きの仕事を始めたそうです。
平子 : 時代が後押ししたと思いますが、当時はよくこんな大規模な投資をされましたよね。働きに行くという選択肢がある中で、みんな自分で窯を購入して独立していた。
工藤 : よっぽど情熱があったんでしょうね。
南窯は、最初から土ものの陶器を作っていたんですか?
工藤 : うちは最初から土ものでした。磁器は扱っていなかったです。
長山 : 画家を目指したお父さんだから絵付けも多かったですか?
工藤 : 主力で出ていたのは絵付けの織部のどんぶりと南蛮焼き締めですね。作って仕上げして、釉薬もかけずに乾かして焼くだけ。焼き締めの赤土のものを作っていました。
その頃から、陶器を量産的な作り方を始めていたんですか?
工藤 : 今は、この地域でも普通に土ものが作られていますが、当時は量産の土ものは少なかった。僕が始めた頃でも「工藤くんは土ものが主やで」という言い方されていたくらい。どの窯元も磁器ばかりを作っていた時代でした。
長山 : 駄知の兵山窯さんも座談会で話していました。昔は磁器を作っていたけれど、量産メーカーに集約されて未来がないと感じ、陶器にシフトしたと。
工藤 : 昔は作業場に水ゴテ成形(※1)の機械が2台あって、一番奥にガバ鋳込みがありました。父がろくろを挽いて、僕は水ゴテの仕事をしていました。
幸恵 : 仕事の量が増えてから、大物は父がろくろを挽いて、母がたたら成形をするスタイルになり、そのまま私たちが引き継いでいます。私は全くの素人でした。でも、実家は鋳込みをやっていたので、子どもの頃からモロ板を担ぐようなお手伝いはしていたかな。
工藤 : でも、僕が最初から窯焼きをやる男だったら嫁いでないはず。今でも「そんなつもりじゃなかった」って言われます。笑
幸恵 : この作業場の中にベビーベッドがあって、子どもたちを見ながら仕事していましたよ。笑
※1 水ゴテ成形……柔らかくした粘土を石膏型に入れ、手でコテを手作業で動かし粘土伸ばす成形方法
南窯の特徴として動力成形ではなく、ろくろを挽く量産という点が大きいかと思います。いつ頃から今のスタイルになったんですか?
工藤 : バブルが弾けた影響で売上が下がって発注数が減りました。水ゴテでも20個ずつ、という発注になったので、だったら手で挽いた方が早いと考え、手挽きの器ばかりしようと思った。道具があると使っちゃうから水ゴテの機械も全て手放ししました。
平子 : 手作りスタイルの窯元は、他になかったはず。思い切った経営判断ですよね。
工藤 : 美濃で年間を通してこれだけろくろを挽いている人は少ないと思う。
平子 : 特に量産が多い美濃では少ないですね。製品まで仕上げるために上絵もされているのを考えると、他にはいない存在。
ろくろをたくさん挽くために、窯元に必要なことは何ですか?
工藤 : そこにどれだけの時間を費やすか。ろくろが挽ける人なら、やろうと思えばやれる。でも既製品として求めている視点が違うと思う。
平子 : 例えば、作家志望として意匠研を卒業したけれど、窯元に入ってろくろを挽くとなると全然挽けない場合があると聞きます。やはり職人仕事としてろくろを挽くには高い技術が必要だし、たくさん挽くことに特化しないと身につかない技術もある。きれいに一個だけを作る技術と、商売として安定供給できる技術は次元が異なる。
一つを突き詰めすぎても作れない。量産でろくろを挽き続けるための技術が必要。
平子 : 美濃の産地は、職人による熟練の技術が失われつつあります。合理化されすぎて手描きの絵付けもやらなくなったし、手描きができる外注さんは80代の方が多い。
工藤 : 僕も水ゴテ成形は師匠のような方から習いました。型とコテで素早くきれいに作ることを教えてくれる人がいらっしゃった。そういう人の存在が産地から失われていると思います。
平子 : 本当に恐ろしいことですよ。きちんとしたものづくりで生まれたものを、きちんとした値段で売る機能が失われ、売れるものだけを作る流れに変わった。圧力成形で釉薬をドボ塗りして売れるなら一番効率が良いという発想になっていくと、手間をかけること自体に価値を感じる人が少なくなる。
長山 : 次の世代に技術がつながらなくなりますね。
平子 : 一概に合理化が悪いとは言えないけれど、技術を残す視点での主体性が失われ、売る努力をしないまま、「手間をかけたもの」へのニーズがないかのように扱ってきた。南窯さんのようなものづくりを通じて、世の中に「豊かな生活を提供する」という思いがあれば、必然的にいいものが残っていくと思います。
たっぷりな座談会】
60歳を境に、作家として自分たちの作りたいものを
産地として失われている技術、使えなくなる原料はありますが、南窯の技術は失われていないということですよね。
工藤 : 今のところは。寄る年波には勝てず、体力が持たなくなってきてはいますけど。
平子 : まだまだ工藤さんは若いですが、今ある技術の伝承は考えていますか?
工藤 : 考えていないですね。息子たちはやりたがらないし、やっぱり辛い時も知っているから継がせて辛い思いをさせるのは躊躇します。
幸恵 : もし息子が継ぐとしたら、私たちはさらに続けていく努力をしなきゃいけない。ということは、自分たちの作りたいものは作れない。ここまで必死にがむしゃらにやってきたから、「ここは工藤工の窯で終わります」と息子たちには宣言をしました。お父さんとお母さんは60歳を境に自分たちの作りたいものを作る。もう窯が壊れようが私たちで終わるならいい。
長山 : そうだったんですね。
幸恵 : これから先は作りたいものを作りつつ、ユープロさんなどから依頼されたものを自分たちでやれる範囲で、ゆっくりとした時間の流れで続けていけるのが理想。
平子 : ここから、新たにやりたいものがあるのは素敵ですよね。僕らの立場からすると、南窯さんのエッセンスは産地の財産だから、直系で継ぐ人がいなくても、どこかの作り手に技術を残すという可能性があってもいいのではと。
工藤 : 今まで考えてなかったですけれど、それはいいですね。
平子 : 産地商社の立場として、そういったビジョンを描くことは可能じゃないかと。一つずつアクションしていかないといけないですね。
工藤 : 今の仕事に支障がない範囲でノウハウを教えるのは難しいことじゃないと思うのでウエルカムですよ。
作家として自分の作品がうまく展開できずに悩んでいる方にとっても、南窯の技術や量産のスタイルを学ぶことがプラスに転じる気がします。
平子 : そう思います。陶芸作家であっても、自分の作りたいものを「作品」として売りたい人ばかりじゃないんですよね。
工藤 : 若い世代を見ていると南窯みたいなスタンスだけど、作家として活動する人も多い。販売先が量産、ギャラリーという違いはあっても、同じものを作って並べるスタイルはメーカーだと僕は思う。その垣根は自分がこだわる「肩書き」だけ。僕は南窯という製陶所として経営して、作家ではないスタンスでずっとやってきた。だからこそ、60歳を過ぎたら作家になって作りたいものを作る。
たっぷりな座談会】
説得力のあるものづくりを続けていくだけ
平子 : 僕は今46歳になったんです。産地商社の責任も分からずやってきた結果、産地が疲弊しているじゃないですか。少なくともあと25年くらい続けるためにも少しずつ未来に種を蒔かないといけない。ものづくりのDNAを産地に残していかないと、これからやきものの仕事に携わる人に申し訳ない。
工藤 : 隠さず言えばネガティブな面は山ほどあると思う。例えば、近所の鉄工所がなくなってしまったら、この地域の業界が終わるんじゃ?というくらいの危機感がある。
幸恵 : 窯や圧力鋳込みなどの窯業の機械を作って、修理して面倒みてくれています。
工藤 : やれる人が少なくて引っ張りだこなんです。うちも窯が壊れた時に見てくださるけれど忙しくて頼めないほど。噂を聞きつけて、全国から依頼が入っている状態。
長山 : 土や釉薬など原料だけの問題じゃないですね。
工藤 : 外注の職人さんたちの技術も急に消えてしまうはず。
幸恵 : 転写技術が上がったから手描きのものを残さなきゃいけないという意識がなかったんでしょうね。業務用食器で栄えてきたまちだからこそ。もっと重く捉えていたら技術は更新できていたと思う。今は技術が途絶えてしまっても仕方がない状況かな。
工藤 : みんな「何とかなるやろ」としか思ってない。何ともならんようになってからしか気付かないね。自分も含めて。
平子 : 長くお付き合いさせてもらっていますが、これからのユープロダクツに期待することはありますか?
工藤 : 取引先を開拓していただければ。今でも順番に増えていっているのは、ありがたいことです。
幸恵 : ユープロさんは平子さんをはじめ、みなさんが勉強してくださって、手作りの許容範囲など理解が深い。やっぱり私たちのものづくりは、一つとして同じものはできない。色も形も全てにおいて同じものができないことをしっかりと理解してくれているのはありがたい。
平子 : 時代とともに、お客さんの理解も進みましたよね。
その反面、「それっぽいもの」が安くきれいに作れる時代になり、ものの違いを感じ取るセンサーがにぶっている気もしています。「こっちが好き」は分かったとしても、品質や技術については、お話を伺ってようやく見えてくる部分もあります。
工藤 : 作って出す側としては、そこまでお客さんに求めない。僕たちは違いが分かるようなものをこちらが出さないといけないんです。並んだ商品からお客さんの感性で決める時、それが手作りだろうが、動力で作ろうが選ばれた方が勝ち。説得力のあるものづくりをしていくのが、僕らの仕事だと思うんですよね。
平子 : 「手作り=いいもの」でもない。ものの価値観がちゃんと伝わるかたちで提供しないといけないと僕らも思います。
工藤 : 例えば、お店に兵山窯さんの器が並んでいるのを見るとかっこいいんですよね。スマートさがあって、昔から兵山窯さんのファンです。
長山 : それぞれの良さがありますよね。
自分の感性に委ねつつも、ものの違いが分かると生活が豊かになります。
平子 : 作り手にとっても、昭和の時代は情報が分業で分断されていたから、自分たちのものづくりの先が把握できなかった。今はSNSというフィードバックがある。自分たちの器がどこにつながって、どう喜ばれているかが分かる。
工藤 : インスタとかの使い方は勉強になりますよ。例えば、料理教室の先生が使いやすかったと上げてくれるのはすごくうれしいですね。
平子 : うちの娘が薬を飲むときに必ず使うのも?
工藤 : うれしいです。笑
食器棚の中で、つい使いたくなる器ってありますよね。南窯の器の心地よさが、いろんな人に伝わっている証拠ですね。
工藤 : そう、食器棚の一軍を目指して作っていますね。