祐山窯 × PRODUCTS STORE
たっぷりな座談会
<今回の参加者>
祐山窯 正村祐也
正陶苑 正村寛治
株式会社ユープロダクツ 代表取締役 平子宗介
PRODUCTS STORE店長 長山晶子
インタビュアー・編集者 笹田理恵
岐阜県土岐市の駄知にある窯元「正陶苑(しょうとうえん)」。和食器を中心に、温かみのある手の込んだ器を日々作り続けています。正陶苑の二代目であり、「祐山窯(ゆうざんがま)」としてものづくりをされているのが、正村祐也さん。一つ一つ手で削る「しのぎ」の柄が美しい「ロリエ」シリーズはクラフトフェアやSNSでも大人気です。
以前から、お取り扱いをさせていただいている関係性ですが、現在PRODUCTS STOREで開催している「祐山窯展」をきっかけに、祐也さんと父・寛治さんに改めてゆっくりお話を伺いました。ロリエシリーズの誕生秘話や手仕事への思い、世代を越えて受け継がれた手間を惜しまない姿勢など、座談会で熱く語っていただきました。
たっぷりな座談会】
しのぎだからこそ、手仕事の質感の違いを感じ取ってほしい
ユープロダクツ 平子 宗介(以下、平子) : 祐也さんは、小さい頃からお父さんのものづくりを身近で見られていたんですか?
正村祐也(以下、祐也) : 父が窯元へ勤めていたときも、たまに遊びに行っていたし、やきものが身近な存在ではありましたね。僕が正陶苑に入ったのは23、4歳ですけど、父がすごく手間をかけてものづくりをしているのはなんとなく分かっていた。1回電話で、ある商社さんに「あんたんとこのお父さんにもうちょっと手を抜くように言ってくれ。ちょっと手かけすぎやで」って言われたこともある。その頃は、その意味がよく分かってなかったけど。
平子 : とにかく安く買いたいという商社ならではの視点ですよね。
祐也 : 自分が本格的に入ってやるようになってから、モヤモヤすることが出てきた。名前が知られている窯元さんは何を作っても売れるけれど、うちはこれだけ手をかけているのに……みたいな思いもコロナ禍の直前までは感じてましたね。
長山 : そうだったんですね。
祐也 : たまたまコロナ禍に突入する直前にネット販売を始めました。最初の1、2ヶ月は、かわいいものを集めて、なんとなく載せていたんです。そうしたら、全然売り上げは伸びないし、どうしてかなと考えていたんですけど、アクセサリーとかいろいろなものを見て、やっぱり何か1つ武器が必要だと思った。その時に「しのぎ」っていう写真越しでも分かるような武器をアピールした方がいい、と。そこから作り始めたのが「ロリエ」でした。
長山 : そういう始まりだったんですね。
祐也 : 自分はしのぎも好きだったし、すごく良いと思っていたんですけど、最初は全然跳ねなくて。しのいだ所に白を入れた瞬間に跳ねたんですよね。
長山 : ちょっとしたことで変わるんですね。
祐也 : その後はこの埋め込みが中心になって、今に至ります。コロナ禍になって、自分たちが直でお客さんに販売するのを始めたことで、ものづくりに手をかける甲斐が出たんですよね。やっぱりコロナ禍以前はいくらこれを作ったところで商社さんに出して、安く買い叩かれてしまったらやってられない。自分たちで販売できると、これだけやって、これだけの利益が得られたっていう、まっとうな金額が入る。だったら頑張りがいもあるな、と思えてきますよね。
正村寛治(以下、寛治) : 手をかけることは当たり前。みんながやっていることと同じものをやっても勝てんの。同じものをやって勝とうと思うなら設備を何千万とかけて、全部自動にして、みんなが100円でやっとるご飯茶碗を80円でやるぐらいじゃないと勝てん。だけど、そういうことじゃない。
祐也 : でも、絵にしても、釉薬にしても、今は何でもコピーできちゃうんですよ。
平子 : 抜け道はいくらでもあるからこそ。
祐也 : こっちが「手で作ったこだわりの一枚」と言ったところで何でも再現されちゃう。でも、しのぎの質感だけはコピーできない。正陶苑としては、ごく一部の技法ですけど、祐山窯としてネットを中心にやっていく上では、とにかくしのぎを押し出そうと思った。ロリエも似たようにコピーされている商品も出回っているけれど、それと比べても、こっちは違うねって気付いていただけるのも大事かなと思うので。
たっぷりな座談会】
世代を越えて受け継がれた、手間をかける姿勢
平子 : 社長が、勤めていた窯元を離れて正陶苑を始められたのは何歳の時ですか?
寛治 : 47歳。
祐也 : 僕が高2の時で、進路をどうしようと思っていたところにね。急だったからびっくりしました。
平子 : 祐也さんは、その頃からご自身もやきものをやるイメージは持ってらっしゃったんですか?
祐也 : 全然ですよ。高校の時は途中から勉強をやめちゃって、昼から帰ったりとか平気でしていたんですよ。タバコを吸ってグレるとかじゃなくて、無気力。その後に、多治見工業の専攻科に進学したのもしゃーなしですね。20人ぐらい同期がいて、九州や北海道から来ていたり、上は50、60歳くらいの陶芸家を目指す方が集まっていて……その中の数人は将来、地元の家業を継ぐ人もいた。で、同期の子たちがみんなパチンコ好きだったんですよね。笑
平子 : 笑
祐也 : それもあって、その2年間はろくろも挽けないぐらい何もしなかったです。正陶苑に入ってからもなかなかエンジンがかからなくて、いち従業員程度の意識だったんですよ。それが30近くかな。結婚するぐらいのタイミングでやっと気持ちが変わりました。
寛治 : やっぱり生活が変わると考えも変わる。
祐也 : そうですね。今はろくろも挽きますけど、結局勉強を2年間するよりも、必要に迫られた方が身につくものですね。笑
長山 : 技術は、お父さんから教えてもらったり?
祐也 : いや。もう全然。半分はYou Tubeですね。
長山 : You Tube!? 今時ですね。笑
祐也 : 今でもYou Tubeを見て、「この人、こうやってやってるんだ」とか見てます。皆さんそうだと思うんですけど「俺はこうやる」みたいな小さな技がいっぱいあるので。普段やりづらいなと思っている作業を、みんなどうしてるんだろうと思って見ると、「この順番を逆にしてるんだ!」とか気付く。
陶芸をやっている人だからこそ、わかる視点ですね。
平子 : 祐也さんは「しのぎが好き」だとおっしゃっていたんですけど、しのぐ作業はものすごい労力がかかるじゃないですか。出来上がったものが好きなんですか? それともしのぐ作業自体が好きなんですか?
祐也 : しのぐ作業自体が好き。よく化石を掘るのが好きな人いるじゃないですか。砂を取って骨が出てくるのが好きっていう。ああいうフェチ的な感じです。
平子 : 天職じゃないですか!
寛治 : 例えば面取りして、まっすぐ掘るだけなら何にも考えずに掘れる。でも、ロリエは集中しないと掘れない。線と線を合わせていって、最後に重なる気持ち良さがある。
祐也 : そうですね。今から5年ぐらい前のしのぎを見ると、僕的には全くダメだと思うものもある。その頃は僕もそこまでこだわりなかったんですけど、どんどんこだわりが強くなってきちゃって。昔のものは間隔も曖昧だし、終わりの長さがバラバラ。
測ってやっているわけじゃなくて、感覚で削られているんですよね。
祐也 : そうですね。ただ、手仕事とはいえ正確すぎると他社の型のものと一緒になってしまうという側面もある。結局、「味」という曖昧なものがあるじゃないですか。バラバラだからこそ味があるみたいなのもあるんで。難しいところなんですけど。
寛治 : ロリエなんて、どこから引いてどこで終わっとるのか分からん。
長山 : 祐也さんが見たら、どこが始まりって分かりますか?
祐也 : 始まりはね、分かんないです。
長山 : それぐらいキレイですよね。
1枚仕上げるのに、どれくらいでできるんですか?
祐也 : 先週久しぶりにやったら、すごく早くできて。これは2周しのぐんですけど、外を1周、中を1周で2分ぐらいですね。
平子 : 2分!?そんなに早いんですか?この精度で?
祐也 : 力の抜きどころとか、ちょっとごまかし方もわかってきたのもあって、今はそのぐらいでできますね。
たっぷりな座談会】
型、釉薬、土……この地域の分業制や職人こそが貴重な資源
平子 : とにかく、お二人とも制作意欲がずっとあり続けるのがすごいことだと思う。
祐也 : それもやっぱりクラフトフェアやネットでリアルな反応をもらえるのが大きいですけどね。それがなかったら自信がないですから。今週はどっちがええやろみたいに持っていったりして反応を見る。
寛治 : 同じ形でも外の色を3色、中の色を3色、合計6種類を持っていくのよ。そして、お客さんが最初に飛びつくのはどの色なのかを見ている。そうすると一番リアルな言葉が聞ける。
実験的に作って、反応を見られているんですね。
平子 : その柔軟さがすごい。
父 : これ、今日の新作。
今日の新作? あ、あったかいです!
長山 : 毎週新作が出てくるんですよ。笑
平子 : 社長は、テレビを見ていても、全然違うものからでもインスピレーションを受けて、新しいものを作るとお聞きしました。
祐也 : この前、横浜へ行った時に、とある女性のお客さんが「以前、工房に行かせていただいたんですけど」って来てくださった。そしたら「お父さんが私のズボンの柄が面白いって、私のズボンの写真を撮られて」って。
平子 : 笑
祐也 : そんなことしてたのかよ、って。笑
それくらい何に対してもアンテナを張られているんですね。
寛治 : ずっとものづくりをし続けて、もう70やけど、まだまだ息子には負けんって思ってる。今風のものを作らないかん。何にもせんと、麦を描くか、松を描くか、そんな程度やと思う。
平子 : 時代の流れも感じ取ってらっしゃる。
寛治 : 自分が作ったお皿が1つの大きなテーブルに並んで、家族で囲んで食べてもらえる。使ってもらえる姿をイメージして、ものを作っていると、やっぱり楽しい。この間も蒲郡のクラフトフェアでね、女の子が「この皿がいい」ってお母さんに言ったのよ。でも、別のところに行ってからも、どうしても子どもが欲しいって言うから戻ってきてくれた。でも、それが売れちゃったから、「ほんなら来年作ってきてあげるわ」って。5歳か6歳ぐらいの子かな。こういうのが大事だよね。
長山 : すごく良いエピソード。
寛治 : 家を新築したって報告しに来るお客さんもいる。結婚する前に、相手もおらんのにセットで器を集めていたりしていて、そういう子が彼氏を連れてきてくれたりする。器を通してでも、こういう物語ができるわけ。1個のものを買って、そういう風に大事に使ってもらえたらうれしいよね。
平子 : ちなみに、祐也さんからご覧になって、今の産地に対してはどう感じていますか?
祐也 : ちょっと前まで美濃焼なんて知らねーよ、みたいな気持ちがあったんですよ。それこそ正陶苑は組合に入っていないのもあって横のつながりもないし、もう何なら自分が美濃焼っていう意識も薄いちゃ薄い。うちは正陶苑という窯です。たまたま岐阜県土岐市にありますってだけで、美濃焼を背負っているかっていうと、そういう意識もあまりなかった。
長山 : そういう窯元さんも多いと思います。
祐也 : 数年前にとあるイベントで地元のお客さんから「美濃焼なんて売れるわけないやら。このぐらいのものなら隣の窯焼きさんにタダで貰える」って言われたんですよ。その言葉に、かなり傷ついた。この地域に住んでいる人たちがそんなにやきものに誇りを持ってないんだったら、もうこれはダメだなっていう思いがありましたね。
平子 : 地場産業に対する意識が低いんですね。
祐也 : でも、この地域は型屋もあって、釉薬屋や道具屋もいっぱいある。それ自体がすごい資源だと思うんですよ。モノトーンの器ばかり作っている出店者さんを見ては、もっとみんなカラフルにすればいいのにと思ってたんですけど、できるわけがなかったんですよ。当たり前ですけど、自分でそこまでの釉薬は作れない。僕たちは、材料を片道15分で買いに行って何でも揃うけど、同じ岐阜県内の人でも少し離れたら陶芸ってすごくハードルの高いものじゃないですか。自分たちがカラフルなものが作れるのは釉薬屋さんのおかげ。土が何種類もあるのは土屋さんのおかげ。それが身近にあることのありがたさっていうのは、やっぱり大事にしなきゃいけない。分業性があるからこそ、いろんな武器がある。
寛治 : 今はこういう時代だから、もっと付加価値を上げていくと誰もが潤う。価格を叩いてしまうと釉薬屋や型屋がなくなってしまう。もっとみんなが潤うようになってほしいね。
平子 : やっぱり商社に力がなかったというか、要は安く売れば売れるという考えを、今までは作り手さんにどんどん押しつけていったんですよね。
寛治 : やっぱり小売の人からも「これはこんなに手がかかってますよ」と伝えて、みんなが美濃焼の価値を上げていかないと。みんなが競争のように価格を下げていてはいけない。8時から5時まで仕事して普通の生活ができれば、どの業界の人でも、まだきっと続けていけたと思う。もう駄知の型屋さんでも継がせたくないって人は多い。そうすると、もうここ5年もするとまた減っていってしまう。
平子 : その通りだと思います。
寛治 : あと、美濃焼が欲しい人も増えている。何でもいい人は100均や量販店に行って買うけれど、美濃焼が欲しい人はやっぱり質のいいものを求めている。今までは美濃焼は安物だっていうイメージだったけど、日本全国の陶芸家さんや作り手さんの中で、美濃焼の価値が上がっている。4、5年前から認知度も上がってきている。
祐也 : 僕が息子として家業をどう思っていたかというと、食っていけるかよりも、これがどこに行きつくのか。何のためにやっているのかが一番気になっていた。食っていけない不安よりも、目的ややりがいがないことの方がつらい。だからこそ、自分の子どもに教えたいのは、この仕事の面白さ。一緒に名古屋の三越やラシックに行って、ここにあるよって。クラフトフェアでこんなに買ってくれたよ、って。そういう作る楽しさ、売る楽しさ。作ったものが人の手に渡って、使って喜んでくれている。その結果、食えていけるよって話なんで。今回のクラフトフェアは売れんかったわ、とか、今日は富山の人がいっぱい買ってくれたよ~とか、そういうリアルな話も子どもたちに隠さずに伝えていますね。
平子 : 仕事の話ばっかり聞いちゃいましたけど、仕事以外の趣味とかありますか?
祐也 : 今年はありがたいことにイベントにいっぱい出ていて、あまりプライベートの時間がなかったんですけど……これはもうきれい事じゃなく、ろくろを挽くのはリフレッシュになりますね。
平子 : すごい好循環ですね。
祐也 : あとは出かけた先でぶらぶら歩く。クラフトフェアに出て、その日の夜に自転車に乗ってまちを回ったり。
その地域のおいしいものを食べたりとか。
祐也 : だからこそ、最近逆転しちゃって「あのまちに行きたい」が基準になってきちゃった。やっぱりまちが素敵ってすごく大事ですよね。最近そういう視点なので、あまり聞かないようなまちでも行きますね。
平子 : ミュージシャンっぽいですね。全国ツアーみたい。
祐也 : もっとコロナの状況が厳しかった時は、もう部屋でnintendo switchのスプラばっかりやってましたけど。前に瀬戸の祭りでご家族が見えて、「うちの息子が祐山窯のお兄さんがスプラトゥーンをやってるから1度会いたい、フレンドになりたい」って言ってもらえて。笑 そういう一面も、あえてインスタのストーリーズにあげるようにしてるんですよ。
長山 : いろんな顔を見れるのはいいですよね。親近感がわく。
祐也 : そうそう、イベントで話の種になるんで。スタバばっか飲んでますし。
長山 : あと、びっくりドンキー。笑
祐也 : そうそうそう。笑 新東名のときは駿河のサービスエリアで絶対食べるので。
平子 : 僕らも、頻繁に来ているけれど、こんなにゆっくり話せたことがなかったので、新しい発見もありました。僕らもやり続けることが大事だと思っているので、これからもお力添えいただければうれしいです。
寛治 : いやいや、こっちも持ちつ持たれつでね。いいもんを作って、食卓に笑顔が生まれるようなものづくりができるようにね。