¥11,000以上のお買い上げで送料が無料

シリーズから探す
シリーズ 一覧
ブランド

PRODUCTS STORE

PRODUCTS STORY

山功高木製陶×PRODUCTS STORE
たっぷりな座談会

01 歴史の深い定林寺地区、窯元の数は減り続けている
02 60代で若手、80代で現役とされる外注のしごと
03 各々でものを作り、話し合い、生み出し続ける
04 手間をかけることが「当たり前」となっていただけ

<今回の参加者>
山功高木製陶 代表取締役社長 髙木崇
株式会社ユープロダクツ 代表取締役 平子宗介
PRODUCTS STORE 店長 長山晶子
インタビュアー・編集者 笹田理恵

撮影 加藤美岬

岐阜県土岐市の北部に位置する定林寺地区。手仕事のあたたかみを感じる器を作る窯元「山功高木製陶」は、この地で昭和4年に創業し、脈々とものづくりの意思を受け継いでいます。職人の手作業によって生まれるゆらぎ、ゆがみ。その表情から与えられる情緒は、現代社会に生きる私たちが求めているものではないでしょうか。

ユープロダクツオリジナル商品「ナウティア」は、山功高木製陶で作られている新シリーズ。窯場で見つけたテストサンプルから、土と釉薬の重なりに面白さを感じて企画が立ち上がりました。釉薬を掛け分けた表情の違いを楽しんでもらいたいという思いを込めて、フィンランド語で「たのしむ」を意味する「nauttia」と名付けています。

ともにものづくりをするパートナーである山功高木製陶の歴史、手間のかけ方とこだわり、産地の未来への思いを髙木崇社長にお聞きしました。ナウティア誕生ストーリーも、企画者の長山とともに振り返ります。ものづくりの現場で新しい商品が生まれていくワクワクを追体験できる座談会となりました。

【山功高木製陶×PRODUCTS STORE
たっぷりな座談会】
01

歴史の深い定林寺地区、窯元の数は減り続けている

平子:山功さんは、いま何代目ですか?

高木:自分は三代目です。昔、このあたりに大きな薬局があって、そこで祖父が丁稚奉公をしていたそうです。ずっと働いていたからお金を貯めて土地を買わせてもらって、昭和4年に窯焼きを始めました。当時はすぐ近くの斜面に登り窯があって、一本の窯を使って4軒で焼いていました。

薬局から窯焼きへの転身が気になります。この地域で窯焼きをやるという選択肢があったんでしょうか?

高木:選択肢としてはあったんですが、当時は窯焼きを始めるには株券を発行しないとできなかった。だから、それなりの金額は出資しないといけないですよね。うちは土岐津の工業組合の株券を昭和4年に発行しています。

長山:そういう時代があったんですね。

高木:あと、この地域は定林寺という大きなお寺の跡地です。お寺がなくなっていなければ、ここに窯焼きは存在しなかったですね。

長山:どうして定林寺はなくなったんですか?

高木:戦国時代に武田軍が攻めてきて焼き討ちに。五山十刹に選ばれるような格の高いお寺でした。うちの目の前で史跡調査をした際、青磁の器が出てきたんです。青磁は、位の高い人やお金持ちしか持てなかったもの。それが出土したということは、きっと立派な高僧が住んでいたんでしょうね。

平子:定林寺は、夏にお祭りもありますもんね。竜山窯さんの取材でお聞きしました。

高木:そう、九万九千日ですね。一度お参りをすると九万九千日のお参りしたほどのご利益があるというお祭りですね。

平子:そんな合理的な話だったんですね。笑

定林寺は古くから窯元が多い地域ですが、数は減っていますか?

高木:最盛期の組合は120、130軒ほどあったんですが、いまは23軒まで減っちゃいましたね。

平子:23軒中、10年後にまだ続けていそうな窯元は何軒ですか?

高木:……5、6軒ですかね。もう青年部レベルじゃないと難しいかな。

平子:それは衝撃的な数ですね。

【山功高木製陶×PRODUCTS STORE
たっぷりな座談会】
02

60代で若手、80代で現役とされる外注のしごと

平子:社長が入社したのは何歳ですか?

高木:30歳ぐらいだったかな。もう14、5年経ちますね。家業を継ぐことは自分でなんとなく決めていました。多治見工業高校のセラミック科で学び、名古屋芸大に入学しました。彫刻科で勉強という名の遊びをいろいろと……。ただ、自分はクルマが趣味だったので、クルマ関係の仕事か窯焼きを継ぐかをずっと迷っていたんです。

長山:他にもやりたいことがあったんですね。

高木:クルマの道に進むなら、まずはやってみようと思って、就職先に「3年を目安で判断させていただきたい」と話し、整備士として働かせてもらって。4年ほど勤めたけれど、やっぱりクルマは趣味だと思ったので陶器の道へ進みました。

家業を継ぐことに対する抵抗感はなかったんですか?

高木:嫌という気持ちは全くなかったです。うちの子が職場で遊んでいるように、僕も工場の中で自転車を乗り回していました。土をこねくり回したり、施釉の真似をしてみたり。あと、漠然と自分は社長になるという意識もありました。

長山:クルマ業界で働くことになった時、お父さまは反対しなかったんですか?

高木:父から家業を継げとは一切言われませんでした。父は20代の頃、祖父が脳卒中で倒れて社長業をやることになってすごく苦労してきているので。この業界の大変さを分かっていたから何も言わなかったですね。

平子:でも、子どもとしては感じるものがありますよね。親の背中を見るというか……自分が継がなかったらどうなるのか、という想像はしますもんね。

高木:そうですね。近所の同級生に何軒も窯焼きがいたけれど、うちしか残っていないです。廃業された方、跡を継がない方……とにかく代替わりをしているところがない。

平子:しかも外注さんも減っていて、注文があっても作れない状況にも陥っている。

高木:そうですね、外注の取り合いになっているので。うちのポットはガバ鋳込み成形で作っています。でも、今年の頭にガバ鋳込みの外注さんが体調を崩されたので生産が一旦止まってしまいました。それで僕が外注さんの設備をお借りして作らせてもらって、どうにか生産していたんです。

長山:社長自ら、外注の仕事もされたんですか?

高木:なんとなくの知識は持っていたので。あとは電話で外注さんに聞きながらどうにか。今は元気に復帰されました。でも、その方は60代なので外注さんで言ったら若手なんですよ。

60代で若手!?

平子:超若手ですね。

高木:外注は、80代が現役バリバリの世界なので。

長山:急に廃業されることもあり得る世界ですよね。

高木:そうなんです。それもあって、いまはうちに設備は入れてあります。

平子:外注さんの存続は、産地にとって本当に大きな課題ですよね。

【山功高木製陶×PRODUCTS STORE
たっぷりな座談会】
03

各々でものを作り、話し合い、生み出し続ける

山功さんでは、何人の方が働いていますか?

高木:いまは、両親と妻、従業員を合わせて6人です。

長山:全員が欠けることができないメンバーですよね。

高木:そう、1人欠けると他の人が2倍、3倍の仕事をして賄わないといけない状況ですよね。でも、来年に向けて美大生の新卒の方の内定を出しています。うちのブランド「itoma」を気に入ってホームページを見てくれて。「山功の考え方に共感したので見学させてください」と電話をくれました。作業場を案内しながら、「就職とか考えてくれたら連絡ください」と伝えたら、連絡をくれました。

平子:世の中にこれだけものがある中で、遠方に暮らす美大生が山功さんのものにフォーカスして辿り着くなんてすごい!

高木:本当にうれしいです。

平子:すこし脱線しますが、美濃で仕事をする人のコミュニティがあるといいですよね。山功さんは世代が若いから大丈夫だけど、従業員のほとんどが高齢という職場もある。仕事内容は楽しくても、60代、70代の方と20代の新入社員とのコミュニケーションのギャップは生じやすい。だから、産業に携わる人、外から働きに来ている人、同じ立場で働いている人同士のコミュニケーションの場がもっとあればいいなって。

遠方から働きに来ていて、職場以外の知人が一人もいない場合もありますよね。

高木:地方から大学に入る時と一緒ですよね。大学なら同じ学部で人間関係が築けるけれど。

平子:プライベートの時間で出会うことはあるけれど、もっと産地全体で裾野を広げた受け皿があってもいいと思う。今後、自分でやりたいことに対して正直に働きたい人が増えていくと思うし、もっと若い人が働きやすい産地になってほしい。この取材も、僕らが作り手さんを発信することで、産業の魅力を紹介したいし、将来的には産地に対するリクルートにつながるといいなと考えています。

長山:お子さんは、大人になったらここで働きたいと話していますか?

高木:まだそこまで考えてはいないと思いますが粘土は触っています。中学2年の長女は半分冗談ですけれど、跡を継ぎたいとは言っていますね。その水色のポットは、小学6年の時に長女がデザインしたものなんですよ。娘が持ってきたデザインを形にしました。

長山:ものづくりが好きな遺伝子が受け継がれていますね。

高木:この地域は、小学校にも窯があって陶器を焼く授業をやっているんですよ。地場産業として、学校が取り上げてくれるのも大きいかな。

長山:商品開発は、奥さんと相談するんですか?

高木:いえ、父も含めて各々がやっている状態ですね。それぞれが考えたのを焼いてみて、窯を起こした時にみんなで見て、「これどうだろう?ここを変えてみたら?」と話し合いながら、次の窯で焼き直してみたり。

各々で作って、みなさんで意見を交わし合うんですね。

平子:健全ですね。インプットとして、ものを見に行ったりもするんですか?

高木:行きますね。でも、陶器はできるだけ見ないようにしています。陶器だと真似になっちゃうだけなので、美術の展覧会とか異素材のものを見るように意識しています。

長山:それで色の組み合わせとか考えたり?

高木:この質感をどうにか表現できないかなとか。全然違う畑だと、なかなか形にできないですけどね。

平子:ものづくりに対するスタ―トラインが違いますよね。ありがちなのは、サンプルとして他社の商品を見ながら「ここだけ変えて」みたいな企画。それとはモチベーションが全然違うじゃないですか。クリエイティブじゃない。商品として売ることだけが目的になると作る人たちもきっと楽しくないですよね。

高木:山功のサンプルに対しても、意見をいただき製品化する事もありますが、なかなかうまく行きません。

【山功高木製陶×PRODUCTS STORE
たっぷりな座談会】
04

手間をかけることが「当たり前」となっていただけ

山功さんの手掛ける新商品「ナウティア」。手作業による釉薬の掛け分けによって、器の中で土と釉薬の重なりの質感の違いが楽しめるデザインです。どんな経緯で生まれた企画ですか?

長山:2022年の秋頃、別の打ち合わせで山功さんを訪れた時に、掛け分けのサンプルが並んでいたんです。「何これ、かわいい!」と思って、「こういう色でできますか?こんな掛け方はどうですか?」といろいろ聞いて。

サンプルとしてテストピースが置いてあったんですか?

高木:そう、サンプルでした。2、3年前の取り組みの中で、うちの技術説明のために作ったものです。ただ、こういうのも面白いなと思って保管していました。

長山:等分で釉薬を掛け分けするのではなく、端に寄せたり掛け方を変えたり、すごく面倒なお願いをしたんですが快く受けてくださって。

技法を見せるためのサンプルを新しいデザインとして商品化したいと提案された時は、どんな心境だったんですか?

高木:面白いですよね。自分はそういう取り組みが好きなんですよ。普通はやってもらえないことを引っ張りあげてもらえると、うちとしても一つの売りになる。

長山:バイヤーさんからの反響がすごく大きいです。展示会の時も商品を見ただけで手間のかかり方がわかるからこそ。

高木:うちとしては、やっていることを手間とは思っていない。当たり前のこととして続けているけれど、周りの窯焼きさんからすると「そんなに手間かけて……」「大変じゃないの?」と言われるんですよ。でも、やりつづけていれば、それが普通になるので。

他社ではできない、山功さんの「普通」がたくさんある。

高木:自社ブランド・itomaを立ち上げる際に、デザイナーさんと一緒に得意なこと、何ができるのか、歴史……と全てを洗い出しました。ようやくそこで、うちが当たり前としてやってきたことはちょっと特殊だと認識をしたんですよね。

新たな強みを作ろうとせずとも、すでに強みはあった。

高木:そうですね。強みだと知らずにやっていた。それに気づけたのは、自社ブランドを立ち上げたことによる副産物です。だから、商社さんの中には釉薬を掛けるだけの商品はうちには頼まない。「どこでもできるものではなく、山功さんには手の掛かったものをお願いしたい」と言ってもらえることはありますね。

平子:何年か前から、少しお取引が途絶えていたんですが、こうやって一緒にものづくりができてうれしいです。

高木:自分からアプローチさせてもらったのは、ユープロさんが魅力的な会社だと思っていたから。なかなか作り手の想いは、商社さんを通してバイヤーからお客様まで伝わって行きません。

作り手の思いに感化されない。

高木:そうですね。それがすごくもどかしかったし、なぜだろうと不思議でした。だから、自分たちで企画したり、いろんな動きをされる商社さんとお付き合いしたいと思って、ユープロさんにアプローチさせてもらって、なんとか形になってきました。

平子:そんな風に思っていただけてうれしいです……!

高木:メーカー同士で話をすると、商社さんとの今後の付き合い方が良く話題に上がります。メーカーとして商社さんとは切っても切れない関係だけど、こちらとしても意識しています。

メーカーさんが作れる量にも限りがある。だからこそ、今後は作り手側が選ぶ時代になっていきますよね。

平子:間違いないですよ。すでにそうなっているし、もっと加速していく。いまだに「売っている方が偉い」という序列が残る産地もあるけれど、そもそも考え方として間違っている。作り手と商社、売り手がチームでやっていかないといけないし、もっと情報共有していくべき時代だと思う。

高木:あと、ここからの5年をしっかりやらないと今後が大変になると思います。

平子:そうですよね。とはいえ、まだ絶対的にやきものの需要はある。今のうちに手を打っておけば、もっと少しポジティブに、さらなるシェアを取っていくこともできるんじゃないかと思います。

時代の変化は目まぐるしいけれど、産業としての需要は十分にある。

平子:強がり半分で言うと、僕はすごく時代が追い風だと思っています。チャットGPTや高度なAIが出てきても、やきものは影響されにくいし、そういう時代だからこそ情緒が見直される。前向きなエネルギーでやっていけば、むしろIT企業よりも健全にビジネスができるチャンスはあるんじゃないかな。それに、単純にやきものは面白いですもん。

作り手さんが面白がっている、楽しんでいる姿を見るのは幸せなことですよね。使い手としても、そういうものを選びたいと思いますし。

平子:本当にそういう時代ですよね。より顔が見える作り手さんになってほしい。作り手と商社が役割分担をして、やるべきことを注力していれば価値が提供できる。お互いのプラスのエネルギーが混ざったほうが健全だと思う。

平子:さらに余談ですが……、いまも社長は好きなクルマに乗っているんですか?

高木:子どもが増えたので今は家族が乗りやすいクルマですね。昔はGT-R系が好きでしたね。いまはロードバイクに乗っています。休みの日は朝4時くらいに起きて。

長山:元気ですね!どこまで行かれるんですか?

高木:走る時だと100km以上はぐるっと。ここから多治見へ行って、八百津を走って恵那に向かい、大正村のあたりを回って帰ってくる。時間によってコースを決めていて、1時間だったら瑞浪の釜戸へ行って帰ってくるとか。

平子:元々、運動が好きなんですか?

高木:ずっとサッカーとフットサルをやっていたけれど、コロナ禍でできなくなって。人と接しないスポーツを考えたら、自転車は一人で運動ができるし、人に縛られない。子どもの頃から自転車は好きでしたね。小学生の頃は恵那の阿木川ダムを回ったり、中学では蒲郡に日帰りで行ったり。一番遠くまで行ったのは二泊三日で福井県。友だち3人でテントを積んで、飯を食う時以外はペダルを漕いで。

平子:タフですよね~。バイクは乗らないんですか?

高木:自分の性格上、危ないかなと‥笑

平子:なるほど。笑 今日はありがとうございました。ポジティブな話がたくさん聞けて本当に良かったです!