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美濃文山窯×PRODUCTS STORE
たっぷりな座談会

01 就職するのを辞めて、家業を継ぐと決心したきっかけ
02 「工芸品のような工業製品」を目指し、何にこだわるのか?
03 自分が得た知識をどんどん公開し、何もかもをオープンに
04 誰かの生活スタイルに寄り添える器をつくっていく

<今回の参加者>
美濃文山窯 伊藤公一
株式会社ユープロダクツ 代表取締役 平子宗介
PRODUCTS STORE 店長 長山晶子
インタビュアー・編集者 笹田理恵

撮影 加藤美岬

岐阜県土岐市下石(おろし)町。江戸時代からとっくりの産地として栄えた地域は、いまも多くの窯元が軒を連ねています。下石の地で創業110年を越える窯元の美濃文山窯(みのぶんざんがま)。祖父、父から受け継がれるものづくりのアイデンティティは、現在も手間を惜しまない工程に込められています。

今回は、2013年に四代目を継承した伊藤公一さんと座談会を行いました。産地で生まれ育ち、別業種での就職先が決まっていたのに家業を継ぐことを決心したきっかけとは?「工芸品のような工業製品」と表現される器を生み出す、ものづくりのスタンス。ユープロダクツの「EDITIONS」で展開が始まった美濃文山窯のライスボウルのエピソードや、産地の未来に向けた新しい取り組みなど話が広がりました。

【美濃文山窯×PRODUCTS STORE
たっぷりな座談会】
01

就職するのを辞めて、家業を継ぐと決心したきっかけ

平子 : 美濃文山窯は、100年以上ずっとこの場所で作られているんですか?

伊藤 : 実際は7代まで遡れるんですが、市役所に残る書類で確認できるところから数えて110年が経ちました。その前も下石の窯元でした。

ここへ移ってきた頃は、登り窯の時代でしょうか?

伊藤 : 移ってきた当初はこの辺りは共同窯だったんですよ。登り窯があって8社ほどで10基の窯を使っていたようです。いまは跡形もありませんが、小さい頃はそこを掘ると陶片や灰が出てきましたね。

平子 : 2013年に伊藤社長が四代目を継承しました。これは100周年というタイミングだったからですか?

伊藤 : たまたまですね。「そういえば創業何年だっけ?」と調べたら、代表を切り替えたのがちょうど100年目だった。1、2年経ってから気付いたぐらいです。

長山 : 社長は何歳のときに美濃文山窯へ入ったんですか?

伊藤 : 大学を出てすぐ、22歳で入りました。私は何も勉強してないので仕事をやりながら、とにかく自分の扱うものだけを突き進めて勉強し続けている状態ですね。

窯元の家業を継ぐことに対して、迷いはなかったですか?

伊藤 : 大学までは福祉関係の仕事に就こうと考えていて就職先も決まっていました。でも、その段階でようやく「家業」の貴重さに気付いて、就職するのをやめて戻ってきました。

平子 : 就職が決まってから戻ってきたというのがドラマチック……。

伊藤 : やっとそこで考えられたんでしょうね。その頃は「産業のために」とは全く考えていなくて、単純に「自分が暮らしてきた、よく知る工房がなくなるのはもったいないんじゃないか?」と思ったところからですね。

平子 : お父さんから継いでほしいと言われたわけでもなく。

伊藤 : そうですね。父の代で潰すつもりで、ここを更地にする予定もありましたし。

就職が決まっていたけれど、家業の価値を見直すきっかけはあったのでしょうか?

伊藤 : 単純にもったいないと思っただけですね。未来を考えていたわけでもなく「この設備をもう一度揃えるのは大変だよな」とか。そのぐらいシンプルなことだったと思います。

平子 : 入ってからのギャップ、いまに至るまでの景気の波や社長交代など、さまざまなフェーズがあったと思います。家業にはすんなり取り組めましたか?

伊藤 : この地域の子どもってみんな土を触るじゃないですか。特に自分は家業だし、土で遊んでいた時代が長いんですよね。だからか初めて手で作った時もなんとなく分かる。その感覚は不思議でしたよ。全然やれないだろうと思って始めたのに、土の硬さ、どんなものならできるのか、という感覚が意外にもあるんだなって。

平子 : すごいです! でも、家業だと親子で仕事をする難しさもあるんじゃないですか?

伊藤 : うちは気持ち悪いぐらい仲が良いので。見本市でも父親と息子がニコニコしゃべって並んでいるのは美濃文山窯くらい。端から見ると不思議ですよね。笑 昔からよく一緒に遊んでいて、週末は二人でスキーやキャンプに行っていたので、そういうところから良い関係が続いていると思います。

幼少期からの積み重ねですね。親子で仕事をする楽しさが生まれるほど良好な関係性ができあがっているんですね。

伊藤 : ただ事業継承に関しては、父親よりも亡くなった祖父の影響が強いです。父は「お前が何代目だ」とは言わなかった。下石で事業継承をした同世代に聞いても、みんな祖父の代から聞いたことを意識していたようです。

長山 : おじいさんとはどんなお話をされていたんですか?

伊藤 : 大学生の頃に祖父とよくコーヒーを飲みに行っていて、向こうが勝手に仕事のことを話していたかな。僕は「うん、うん」って聞くだけだったけれど、何か感じるところがあったんでしょうね。祖父は芸人肌だったんです。カエルの置物を作って、地域のみんなに渡したり。

長山 : 中庭にあるカエルですね。

伊藤 : 釉薬も自分で作って開発する人でしたし。そこの右側のとっくりは祖父が書いた山水です。手のかかることを平気でやる人でしたね。分かるはずもない幼い子どもに向かって「こうやって書くんだぞ」とか「こんな工夫をしてるんだぞ」みたいなことをつらつらと喋っていました。

【美濃文山窯×PRODUCTS STORE
たっぷりな座談会】
02

「工芸品のような工業製品」を目指し、何にこだわるのか?

平子 : 美濃文山窯を表す「工芸品のような工業製品」という言葉にあるように、手間をかけた器が一般家庭で購入しやすい価格で提供されています。きっとどこまで手間をかけるかのバランスをしっかり考えていると思うんです。

伊藤 : まさにそこを狙っています。作家さんたちが使うレベルの技術をどうやって一般食器に落とし込めるかを目標としているので、手間がかかっていると見ていただけるのはありがたいです。

平子 : そもそも焼成時間が長いんですよね?

伊藤 : 32~34時間ぐらいです。自分の出したい釉薬が高い温度帯では焼けないものが多く、使いたいものを突き詰めていったら、その焼き方しかできなかった。皆さんがうちの釉薬を使うと一部分でしか焼けないことが多い。それを窯全体で焼けるように工夫しています。

平子 : それって効率とは対極にある工程じゃないですか。

伊藤 : そうですね。でも、作りたいものだからしょうがないですよね。

平子 : フルスペックでものづくりをすると価格は高くなるばかりで、世の中に届けるためには何かを省かないといけない。でも、自分の表現として32時間の焼成時間は譲れないという考えがある。そこが、美濃文山窯のキャラクターを作っているとよく分かりました。

作りたいものを確立されたのは、いつ頃ですか? おじい様がものづくりをしていた二代目の頃から続いているものですか?

伊藤 : 祖父の代はとっくりで、父の代から一般食器を出しました。雑貨店が台頭し始めた時代に沿って、父が新商品をどんどん投入するやり方を始めたのを見ていて、私も同じやり方を踏襲しています。

長山 : 常に商品開発をし続けているんですか?

伊藤 : 窯を焚くたびに釉薬の試験を入れているぐらいなので、とにかく新しいものを先に準備している状況です。「こういうものをやりたい」と言ってもらった時にすぐに見せられるものがあるように。

長山 : 企画はどうされているんですか?

伊藤 : 企画は私が担当していますが、従業員さんにも意見を頂いています。あと、美濃文山窯が提供した器を使っていただく方から話を聞くことも多いですね。

平子 : 近隣の方に? モニターのようなことですか?

伊藤 : 遠方の方もいらっしゃいます。先日も、出店した際に立ち寄ってくれた方に声をかけたんです。料理人って器の見方が違うから、もしかして?と思ったら、案の定フリーの料理人の方でした。使いたいシーンなどの話をお聞きして、お皿を提供させてもらうことにしました。実際に器に盛り付けた写真も頂いています。

長山 : 使い勝手についても伺うんですよね?

伊藤 : どちらかというと、こちらが狙っている通りに使うのかどうか?という答え合わせみたいな感覚です。

窯元で、作った後のフィードバックを自ら収集している話は珍しいように感じます。

伊藤 : 週末は自分で料理を作るし、自分が盛りたい器しか作っていない。入る量や色合わせなど、使っている方と答え合わせしたかったのが元々のきっかけです。たくさん盛る人がいたらもう少し深い方がいい、という視点から次の企画に入ることもあります。

【美濃文山窯×PRODUCTS STORE
たっぷりな座談会】
03

自分が得た知識をどんどん公開し、何もかもをオープンに

土岐市下石町は、とっくりの一大産地でした。時代に合わせて、とっくりを使う機会が減ってから窯元の数は減少しましたか?

伊藤 : いまは一般食器を作る窯元がほとんどです。私が入った頃はまだ窯元が150~160はあったので半分ぐらい減っていますね。そこからさらに継いだのが下石陶磁器工業協同組合の青年部では16人。でも、私が継いだ時には自分の世代が最後だろうと思っていたから、さらに下の世代が出てきたのは喜ばしいことです。

平子 : 我々は産地の継続性を強く意識していますが、勉強すればするほど絶望することもある。いろんな形があるにしろ産業として継続するためには規模も維持しないと美濃の強みが残らないと思うんですよね。下石に限らず、社長は産地の未来をどう考えていらっしゃいますか?

伊藤 : 父と同様、もしかしたら美濃文山窯は私の代で終わりかもしれないという思いはあります。だからこそ自分が得た知識はどんどん公開していきたい。昔は窯元同士が交流するのは難しかったですが、いまは特に若い世代に見に来てもらうようにしているんですよ。仕事のやり方や父親との関係性など何もかもをオープンにして、知りたいことがあれば教えてあげるスタイルです。もちろん技術を真似するのはダメだけど、「君に渡した僕の技術を、どういう展開で君が作るのかは見たい」という説明の仕方をしています。

平子 : 新しい動きですね。

伊藤 : いままで美濃は封鎖的で各窯元の持つ技術も違うものが多かった。でもいまはそんな時代ではない。美濃焼全体をどう扱っていくかという視点が大事かと思いますね。

平子 : 美濃文山窯の技術を全て知ったところで文山さんの窯で焼かないと表情が出ないし、同じものは作れない。良いところをお互いに供給し合うことができたら産地の発展につながると思う。

伊藤 : お互い知らない素材もあるし、それをみんなが使うようにできたら素材屋さんにとってもメリットになるはず。下石の中だけで行っていましたが、話が広まって泉や駄知など他エリアの窯元を見させてもらう機会もありますよ。

平子 : 消費のスタイルも変わり、今後は産地の社数が増えない状況です。どう生き残っていくかの課題も大きい。

伊藤 : 土の問題なども課題をあげたらキリがない。子どもたちの世代になったときに美濃に力があるのかという心配も大きい。枠組み自体が変わっていかないと成り立っていかない課題も多い。

平子 : 僕らの先のお客さんまで含めて理解した方がいい課題もある。値段の整合性をとっていく必要もあると思うので。

伊藤 : 何年も前から大量生産の時代ではなくなった感覚はあります。ただ美濃という産地は、ある程度の量を作るからこそ貴重な土が採れるんですよね。今後それらの整合性をどうとるのか考え続ける必要があるでしょうね。

【美濃文山窯×PRODUCTS STORE
たっぷりな座談会】
04

誰かの生活スタイルに寄り添える器をつくっていく

ユープロダクツのオリジナルブランド「EDITIONS」のライスボウルを美濃文山窯と取り組んだのはどんな経緯でしたか?

伊藤 : 以前からうちに来て見ていただいていたけれど、このタイミングで3色の技法を取り入れていただいたのは何故ですか?

長山 : ライスボウルのアイテムを増やしたいと考えたときに美濃文山窯がすぐに浮かびました。文山さんの工房へお邪魔するたびに、配色のマグが並ぶ印象がすごく強かった。ライスボウルという名前ですが、サラダやヨーグルトなど何でも使えるのでカジュアルさがあるものがいいなとも思っていました。

伊藤 : 正直に言うと、茶碗にこの技法は非常に難しくて、うちの商品展開としては外していた部類だったんです。開発してから10年ほど経つ商品ですが、今回改めて取り入れてもらえたのがすごくうれしかった。

平子 : そう言ってもらえると、こちらも光栄です。

伊藤 : 3色使いは、お重を組み合わせた時の色合わせがいいと感じたきっかけから始まりました。ただ3色を塗る技法をどこもやっていなかったので、どう作るのかと試行錯誤からのスタート。いまは自分で情報を出しているので塗り方も教えていますが、最初は周りの皆さんも塗り方が全く分からなかったらしいです。分かっても面倒な塗り方なので、いまも広まってはいないですね。

長山 : 私たちが愛着を持って選んだ商品なので売る時も熱が入ります。遠くからも目立つので、展示会でもバイヤーさんが最初に手に取ってくださるから間違ってなかったと感じます。

伊藤 : 僕が陶器まつりに出ている時は、お客さんに対してPRしないようにしています。お客さんが見て「いいな」と思ってもらえるかどうかが勝負。「なんか分からんけど、この器いいね」と選んでもらえるのか。だから、最初に手に取っていただけるのはうれしいです。

平子 : お客さんは本当によく分かっていて手間がかかっているものを選ぶ。目に見えないものを感じ取っているんだなと。

直観的ですね。手間のかかる工程を想像できない人にも伝わる何かがある。

伊藤 : 一時は明らかに手がかかっていると分かるものしか作らない時代もあって。でもそれだけだと逆に伝わらないと分かった。値段を取れるようにするよりもアイキャッチを大事にしています。それに食卓の全てが美濃文山窯の器じゃなくていいんですよ。実際は、真っ白な器や量販店で買った皿も使いやすいと思う。でも、それだけだったら食卓は面白くないでしょ。そこに一つ何かを足すんだったら美濃文山窯の器を加えると雰囲気が変わるよね、というところだけでいいと思っているんですよ。

長山 : 美濃文山窯さんのお客さんは年齢層が広いと感じます。

伊藤 : 僕もかれこれ20年やっています。2、3年前、ともに年齢を重ねた世代の人たちが美濃文山窯の器をもう一度愛してもらえるようなものを作らないといけないと考え、少し大人っぽいものを作ってみました。そういう工夫で長く愛していただいていると思いますね。

器ごとに「どんな人に使ってもらいたいのか?」という想像は膨らませますか?

伊藤 : 購買意識が高い年代に絞ってはいるんですが人物層は想定していません。僕がよく言うのは、器が誰かの生活スタイルを変えるというより、器が生活スタイルに寄り添っていくものを作らなきゃいけない。「この器を買ってきたから料理を変えよう」というのは難しいじゃないですか。よく作る料理がこの器に乗ったらもっと素敵かもしれない、と思ってもらった方が器を好きになってもらえるかなと思います。

平子 : そういえば工房の入口にいつもかっこいいクルマがとまっていて……クルマと自転車がお好きだという話を耳にしています。

伊藤 : この仕事をしていると毎日素焼きをして、窯のことなど常に器のことを考えてないといけない。どうリセットをするかが自分の中で大きな課題になっていましたが、「ここにいない方がいい」というのが自分の答えなんです。なので、休める日は外に出るようにしています。つい「今日は素焼きが……」と思ったとしても「家にいないからいいや」と考えられる。元々体を動かすのは好きなので、あえて自転車を買ったりもしました。

平子 : どこまで自転車で走るんですか?

伊藤 : 豊橋で車検を預けていたから、クルマを引き取りに自転車で向かいました。片道8時間くらいかな。土岐から豊橋だと下り坂が多いので。

平子 : 愛知県豊橋市まで? すごい……!

伊藤 : 「リカンベット」という寝るタイプの形状をした自転車です。父親にはこの辺りでは目立つから乗るなと言われていて。笑

平子 :

伊藤 : 趣味に関する目的はなく、こういうことをしたら面白いかな?くらいしか考えていない。豊橋に自転車で行ったから今度は歩いていこうかな?とか、そういう考え方。

やったことないことをやってみる、という発想なんですね。

長山 : 好奇心旺盛ですね。忙しいのに仕事以外の時間を作っているのもすごいです。

平子 : そういう視点も学びがあります。どうやってリフレッシュするのかってすごく大事じゃないですか。

伊藤 : そうですね。でも、ここまで自由に動けるようになったのは自分に少し余裕が出てきたからだと思う。自分の作りたいものがハッキリして、売りたいアイテムやどんな人と付き合いたいかが明確になったから、ようやくいろんなことが考えられるようになった。他人のことなんか考えられない時代のほうが長かったですから、ここ数年ですね。

平子 : 美濃文山窯は市場のニーズが高く、ずっと多忙な状況が続いているイメージがありました。でも、新たに従業員さんが入社して生産量も増やせたからこそ、我々も新商品をお願いできることになった。視野を広げて、時代に合わせた変化を続けているんですね。