松本寛司×PRODUCTS STORE
たっぷりな座談会
<今回の参加者>
木工作家 松本寛司
株式会社ユープロダクツ 代表取締役 平子宗介
PRODUCTS STORE 店長 長山晶子
インタビュアー・編集者 笹田理恵
撮影 加藤美岬
愛知県田原市で工房を構える木工作家・松本寛司さん。自然な彫り目が残る木の器、生活に馴染むカトラリーや家具など、自然本来のたくましさとやさしさを感じられる作品は、使うことで得られる喜びに向けて生み出されています。
23年9月から開催している「松本寛司・藤居奈菜江 2人展」を前に、田原市の工房で座談会を行いました。仏師の経験を経て、多治見の貸し工房・studio MAVOで木工を始めたこと。社会情勢によって高騰する木材、ものを売ることに対する考え方の変化。ユープロダクツ・平子と長年の付き合いがある関係性だからこそ、率直な考えを交わす機会となりました。
今回はご自宅にも移動し、妻の桜子さん、三人の子どもたち、愛犬・テディにもご挨拶を。まずは、寛司さんにとって欠かせないサーフィンの話から。自然軸で生きる豊かさに触れてみました。
たっぷりな座談会
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海や自然と対峙することで、ニュートラルになれる
長山:ここの工房にいるときは、ずっと作り続けているんですか?
松本:いや、人が来たりもするし、波がいいと海に行ったりとか。
仕事の前後や合間に、サーフィンできるのは夢のようですね。
松本:ジョギングと変わらないんじゃないかな。サーフィンって考えると少ないけれど、ジョギングをしている人みたいにスッキリする。日によって潮の満ち引きや風が変わるので、仕事の前や合間に行っていますね。
平子:自然のリズムに合わせているのが素敵ですよね。
松本:一つの目標だったんですよ。これができるようになったら好きな時に好きな場所に行って人に会うとか、チャンスがあったらすぐ動くとか、そういうことも可能になるんじゃないかって。
長山:サーフィン雑誌の切り抜きがたくさん貼ってありますね。
松本:工房のすぐ向こうが海なんですよ。行く頻度はちょっと減ってるけれど10日に1回くらい。
平子:海に入っていないと調子悪くなりますか?
松本:スッキリしない感じはある。当たり前だけど、いくつも同時に作業をしているし、家のことも含めて予定だらけになって、早くなって……そうするとポジティブさが減る。海に入るとニュートラルになれる。まぁいいか、しょうがないな、みたいな気持ちになる。
いつ頃からサーフィンを始められたんですか。
松本:サーフィンは23、4歳の頃。当時、名古屋の大須で仏像・仏具の職人をしていて。自転車でお使いするのが最初の仕事だったんだけど、大須にサーフショップがあって、そこで入門セットを買ったのが始まり。
長山:そこからずっと続いているんですね。
松本:最初は海に入ってもヘロヘロで何もできなくて。波が立たない沖合まで泳いで行くこともできない。ザバーンと波が来るだけでフラフラだった。
平子:そこから20年以上続けているのがすごい。いまもサーフィンが上手くなりたいという気持ちはあるんですか?
松本:あるんだけど壁が大きい。やっぱりむちゃくちゃ難しくて、小学生の方が上手かったりするんだよね。
自然とつながるという点では、木を使った器を作っていることにも共通しています。ルーツはありますか?
松本:まず好きなんだと思う。人の言うことは聞きたくないけれど、自然の言うことは聞かざるをえないというか。昔は、こうやって人と喋るのもかなり苦手だったんですよ。もっと内にこもっていて、本を読んだり工作したり、一人遊びが好きだった。山でも海でも一人で行って対峙したら、自然という相手がいる。ゲームはあまりしなかった。それも人が作った世界の中でしか遊んでないような感覚があって嫌だったんだよね。やらされている感じというか……そんな風にひねくれていた。でも、自然の遊びはすごく納得がいく。
たっぷりな座談会
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社会に疑問を持った子ども時代を経て、仏師、木工の世界へ
平子:普段お話をしていても、寛司さんは物事を深く掘り下げて考えていると感じます。
松本:ついついね。それは自分の生い立ちも影響していると思う。母が20歳で僕を産んで、数年後に離婚して、母親が苦労してずっと働いている姿を見ていたから「なんなんだろう、この世の中は」みたいな感覚が子どもの頃からあった。最初からお金があったらいいのか?とか。生まれ持った環境の違いに対しても「こんなの平等じゃない」とすごく疑問に思っていた。そういう経験が深く考えるきっかけになっていった。母親の再婚相手はサラリーマンですごく転勤が多くて、中学校は3つ行ったかな。新しい場所で頑張って、転勤を断れば出世しないというサラリーマンの構図も見ていて疑問だった。こんなに朝から夜まで働いて何これ?って。子どもながらに、こういう働き方はしたくないと思っちゃったんだよね。それで会社勤めではなく、自分で仕事ができる方法を常に考えていた気がする。
初めは、仏師として働いていたんですよね。
松本:高校が美術科で油絵、日本画、デザイン、立体を3年間やって、専攻は立体にしました。塑像(そぞう)とか。だけど、自分は粘土をつけていくより削っていくのが好きだと見つけて、木を彫るのが楽しかった。働きながら覚える仕事に就きたいと探している頃に、高校に教育実習で来た先生の実家が仏師だったり、非常勤の先生に高野山へ見学に連れて行ってもらったりして、仏師という仕事があるんだと知った。高校生で仏具屋にバイトに行き始めて、それこそ人手不足な業界だから就職しないかと声を掛けてもらいました。
平子:いまは仏像・仏具の業界はどうなっているんですか。
松本:それこそ仏壇は売れなくなっている。僕がいた何十年前の話になっちゃうけど、仏具は海外製でも、最後に日本で組み立てれば日本製になっていたんです。でも、その違いがお坊さんも分からない時代になっていた。印相が間違っていたり、外国の人が掘った仏像は手つき、顔つきが違うから彫り直してくれという修理が入ったりしていました。すごく古い仏像は、それはもう神々しいですよ。バランスが人間ではなくて宇宙人のような、言い伝えや伝説を彫っている感じ。だけど、現代やっていることは全然そうじゃないと思っていました。
平子:もっと本質的なものであれば、いまでも価値を高められたんでしょうけど、商業に走った途端「家に合わないからいらない」という選択肢になる。一般家庭において仏壇が絶対に必要なものではなくなってしまった。
松本:消費社会に慣れているしね。何代も仏壇を大切にするというより、新しく家を建ててモダンな建築にしたいという風潮もあるし。
平子:先祖供養や仏壇に手を合わせることも含めて、目に見えないものに対する威敬の念は薄れている気がします。人間に謙虚さがなくなって傲慢になっているのは間違いない。
松本:器でも、家で法事をするから家族の人数より多く揃えていたけれど、そういう機会が減っているから器は家族の分だけあればいい。そのくらいの数はすぐ揃っちゃうもんね。
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生活の中で「使う」ことを趣旨とするものづくり
平子:思い起こせば、僕は寛司さんが多治見の貸し工房・studio MAVOにいらっしゃる時に初めてお会いして。最初はお取引先さんからの「寛司さんの器を扱いたい」というご要望で工房にお邪魔しました。多店舗展開のお店での商品展開は難しいという話から始まり、個人的なお付き合いを踏まえて、2、3年後に初めてそのお客さんのお店で展示をしていただきました。そのご縁がまだ続いていて、うちも店を持って、今回のように寛司さんの展示ができるのは幸せなことです。
松本:最初は、相手が大きすぎると思って。全国にあるお店で、と言われてもそんなに作れるはずがなかった。それに、MAVOに入ってまだ1年くらいしか経ってないからアイテムも少なくて。自分は使って試したいからアイテムが簡単には増えない。安藤さん(陶作家、ギャルリももぐさ・MAVO主宰)も「自分が作ったものを使ったか?」ということを教えてくれていた。むしろそれしか言わないくらい。
自分で作ったものを使うことで、ようやく形が見えてくるんですね。
松本:スプーンを作っても、形は無限にあるわけだから何を定番化したらいいのか分からなかった。数が経つほど自宅で使っているものやアイテムが増えて、自信を持って「これはこんな風に使うといいですよ」とハッキリ言えるようになりました。
平子:駆け出しの頃と今の寛司さんでは、すごく変化されていると思いますが、売り方に対するこだわりも変わりましたか?
松本:カッティングボードを作っているのはナラの木で、地球上でいうと北海道の位置あたりのベルト状にナラの木、オークの木が生えているんですよ。ロシアや中国を通るベルトです。北海道オークは質がいいから、だいぶ海外に買われたんですよね。国内でもナラの木の価値が高まったし、2022年に戦争が始まって日本政府はロシアから木材を買わないという経済措置を取った。だから、材料費がすごく上がっています。倍になった木を仕入れると、お客さんには倍以上の価格になるじゃないですか。それでいいのかな?って。それでは暮らしの道具は作れないと思った。1万円ほどのカッティングボードが2万円になったら、まな板として使えるの?と。それは趣旨と違う。最初に安藤さんから学んだように使うもの、使っていて暮らしが豊かになる体験が、僕の器作りの元になったので、大事にしまうとか飾るとかじゃなくて使ってほしい。それで朽ちていくのも良し。それをこの数年、再認識、再確認させられています。
長山:材料に関しては、今後どうされていきますか?
松本:日本で切ってきた木を使えばいいんじゃないかと。外路樹は切って捨てられているし、ソーラーパネルを設置するという理由で山の木を切るから、そういう木材を使った方がいいんじゃないかな。そうすると、それを説明しなきゃいけない。売り方としては、そういう点で変わってきました。いままでの「ものの良さ」という説明から「なぜ僕がこんなことをしているのか」という説明に変わりつつある。
長山:サクラの木を使ったアイテムも増えていますよね。
松本:そう、以前も小学校で日陰になるからと切られた木を使いました。ものすごく良い木だった。サクラの木はカトラリーに向いているんだよね。オイリーで少ししっとりしていて、水を吸い上げる道管がほとんど見えないくらい密になっている。
平子:素晴らしい取り組みですよね。
松本:だけど、材料がタダであったとしても、木を切りに行って製材して……やることは増えるし、生産量は減っているんですよね。もちろん板で買った方が早いじゃないですか。だから、それにも説明が必要ですよね。とはいえ、なんとか家庭で使えるぐらいの価格にしたい。
平子:生活の道具として許容できる範囲を超えない価格は、難しい命題になるんじゃないですかね。
松本:本当に難しい。日本の林業も衰退しているし。国や自治体からの補助金がおりて、ようやく森に入れるような状態が多い。
平子:我々とお付き合いのある漆器屋さんでも、すごく値上げをされたところもあります。材料が調達できなくて価格を上げざるをえない。人を育成していこうと思ったら、価値を高めて自分たちの継続性が担保できる利益を確保していかないといけない。それによってマーケットが狭まったとしても供給量が減るわけだからしょうがないという舵取りだと見ています。
松本:価格を上げることで、みんなの価格も上がる。いまの食品みたいなことですよね。内容量が減って値段が上がるけれど、しょうがない。例えば、食でいうなら安全だとか味が変わらないとか、そういうことに価値を感じたらいいと思う。いままで価格が上がらなかったこと自体が、やっぱりおかしかったんじゃないかなと思う。
適切ではない、不当な力が働くことによって、安価な状態が保たれていた。それは発展途上国などの海外だけではなく、国内産地の縮図の中にも現れていると思います。
松本:最近、オーガニック野菜や食べ物を作っている人とクラフトは近いと感じています。田原は工業的に野菜を作る地域ですが、個人で作っている人もいる。むしろオーガニックだったらそれぐらいの規模しかできない。それこそがクラフト、手作りと呼んでいるような世界。時間ばかりかかっているんだから大きくしたら回らない。だけど、それを好きな人がいて、やっぱりそれが健やかだよねと選ぶ人はいる。そんな風に時間と手間をかけて作られたものは必然的に高い。それでいい。範囲内じゃん、と感じますね。
長山:そこに価値を見出す人が増えてほしいですよね。
松本:だからこそ、いままでみたいにただ物を売ること……「これは良いものなので買いましょう」だけでは説得力がない。価格を上げるならものすごく収入が増えている人に向けて作ったらいいんじゃない?ということになってしまうけれど、僕たちはもっと普段の幸せを見ているから。なぜこれをやっているか、何をしているのかを、生活している人に説明しないと伝わらない気はする。気付くのを待っていてもね。やっぱりそれこそメディアの力も必要だと思う。なんとか一人ずつでも伝われば。
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ひと彫りの「一歩」を続けて、カタチにする
寛司さんは時代を見ながら、俯瞰的に自分の仕事を捉えていると感じます。
松本:ものづくりを始めるときにかなり削いだんだよね。自分から残ったことがこれなんだよ。
長山:削いだものって何だったんですか?
松本:それこそお金、快適な暮らし……いいクルマに乗りたいとか、かっこいい自転車に乗りたいとか。もちろん物欲はむちゃくちゃあるんだけど。仏教の教えにある「色即是空(しきそくぜくう)」の「色(しき)」。世の中で見えている対象は色。その色で人を惑わすなという考えがあるんですよ。自分は形を加工して、「色」をいじって人を惑わすことを生業としている。これは生きるための業なんです。それが得意だし好きだから、しょうがないと思えるところまで削いでいこうと。そうしたら仕事がもらえて生かされたから、これが向いているのかなと思っています。
平子:辞めることを考えるタイミングもあったんですか?
松本:辞めるというか……この間、ソーラーパネルの設計や蓄電設備を設置する友人から手伝ってほしいと頼まれて行ったんだけど、言われた通りに職人するのって気持ちいい~って。笑 これでお金もらえるなんて、めっちゃいいじゃん!と思ったりすると、帰ってきてスプーンを彫っている時にどうしよう、となるよね。笑 でも、お客さんからの注文とか、先の展示会の約束をしてくださっていて、来年の話があるなら頑張ろう、来年に向けてこういうアイテムを増やしていこうと目標ができますよ。
平子:お付き合いの長いギャラリーやショップの方も多いですよね。
松本:そうですね。だけど、お店を閉められる場合もあるし、他の作家に入れ替わっていくこともある。常にお客さんにとって目新しい作家を探すじゃないですか。そういう意味では、自分はもう新人ではなくなってきたのかなと思う。
平子:ギャラリーなどの位置づけやスタイルも変わってきている気がします。
松本:変わらないと感じるのは地方で根差している人。地域で付き合って売っている店。旅行者の来る場所じゃなくて、近所の人たちとちゃんと付き合ってやっているところは手堅いし変わらない。
「もの」には手に取った人の心を動かす存在感があるし、人の手を伝って、いろんな所に動いてくれるという利点もある。そして、ものを通じて作る人の考え方や姿勢に触れられる。寛司さんの考え方が反映された器が語ってくれる。そういう共感は、現代でも通用する気がしています。
松本:自分も、彫っていることが「一歩」だと思っています。一歩として足跡が残っていく。それをやりながら示す。やっていることが残るのは、空論ではなく実証になると思う。僕が元気に生きて作っている以上は、楽しそうだったらいいなとか、辛そうだったらダメじゃんという実証になるからなんとか楽しくやりたい。こういう人もおるんだぞ、みたいな。いろんな人がいた方がいいと思うんだよね。
平子:パッケージ化された道がたくさんある中で、道なき道を行くのは大変ですよね。でも、「ものの力」で寛司さんとつながって今日まで縁が続いています。マスに向けて受けるかどうかよりも、個人的な「好き」が強い時代だと思うし、我々の好きもこの座談会記事で表現したい。僕らは生活の小さな幸せにものすごく満足感を得るので、そういうことを提供できていたらいいなと思います。
松本:そうですね。自分もいっぱい悩みながらやっています。答えは分かんないけど。
平子:ずっと考え続けるんでしょうね。
松本:こんな話を年上の人にもするんだけど、やっぱり悟りみたいなものは無いみたい。そういう意味では家族と暮らしながら、食べて、幸せと感じることがあって、ちゃんと生きられているからとりあえず良しなのかなと思う。それができてない人とか、物足りなさを感じている人に自分の器を渡せたらいいな。自分にとっても器が、食や暮らしに目を向けるきっかけだったので。変な自己啓発セミナーとか行くくらいなら器を一式どうですか?みたいな。笑
長山:使ってみて、ようやく分かることもありますよね。
松本:伊藤慶二先生のものの良さが最初は気付かなかったんですよ。使ってみたら、すげー!ってなったし、そこに真実がある気がします。気付かせないぐらい普通で、それくらい引いてあった方が生活に溶け込んで馴染む。商売の話でも同じで早すぎると不自然。パッと気付くようにしてあるものは、パッと飽きるということ。
平子:そこに、本当の共感があると思います。
松本:第二次世界大戦中、ドイツの収容所で毎日過酷な強制労働を強いられている中、窓辺に置く石の位置を変えて、そこにアートを見て生きたという人の手記を読んだことがあって。そういうことってあると思う。自分も人付き合いが苦手で、ものづくりにこもっていたのはセルフセラピーだと思っていたんですよね。喜びや癒しがあるし、生き甲斐もある。ものづくりには原始的な方法のいいことがたくさんあるので、本当はそれを広めたいんだけど、とりあえず使ってもらうことを広げたい。何にせよ一歩進む。悩んでいても一歩進むことしかできないかな、いまの僕には。
間違いなく、その一歩は進んでいるわけですよね。
松本:そう、やりながら進んでいるんだよね。その一歩を悪い思いでやっていなければいいはずなんですよ。