茶菓小 × PRODUCTS STORE たっぷりな座談会
<今回の参加者>
茶菓⼩ ⼩平 薫
陶造形家 ⼩平 健⼀
株式会社ユープロダクツ 代表取締役 平⼦ 宗介
PRODUCTS STORE店⻑ ⻑⼭ 晶⼦
インタビュアー・編集者 笹⽥ 理恵
撮影 加藤 美岬
<場所>
茶菓⼩(岐⾩県多治⾒市三笠町4-13)
2025年10⽉でPRODUCTS STOREは5周年を迎えます。1周年では「私たちが⽀えられている多治⾒の店を巡り、つながりを感じてほしい」という思いから「PRODUCTS STOREが多治⾒をひかえめにジャックする2⽇間」と掲げてコラボイベントを⾏いました。
PRODUCTS STORE 1 周年イベントレポート
https://news.products-store.jp/products-story/1st-event-report/
5周年を迎えるにあたって、まちの皆さんをより知ってもらうべく1周年の参加店と座談会を⾏いました。7店舗⽬は、住宅街にある6席のみの⼩さなカフェ「茶菓⼩(ちゃかこ)」。
店主の⼩平薫さん、そして陶芸作家であり毎週⽕曜に「コダケンランチ」を提供している夫・健⼀さんに話を伺いました。
⼆⼈は多治⾒市陶磁器意匠研究所で出会い、さまざまな仕事と経験を経て、2021 年に⼟岐市から多治⾒市へ移り住みました。そのタイミングで薫さんは茶菓⼩を始め、健⼀さんは陶造形家として歩み始めました。
いつも癒しの空気をまとっている薫さんのストーリーを中⼼に、⼦ども時代の葛藤や陶芸を志すきっかけと苦悩、そして茶菓⼩をオープンさせるまでのお話を伺いました。茶菓⼩で繰り広げられる、⼩平家の夫婦漫才のような掛け合いも織り交ぜながら、陶芸家の視点を持つ⼆⼈の「まちのはなし」も興味深いです。ぜひ茶菓⼩でいっしょに話しているような気持ちで読み進めてください。
⼟を触ったら、会社を辞めて⼟の勉強をしたいと思った

茶菓⼩さんのインタビューはネットにも載っていないので、これまでの経緯やお店の思いを聞けたらうれしいです。もともとは陶芸作家であり、陶磁器メーカーやギャルリ百草のカフェで働かれてきた薫さんのこれまでの歩みをお伺いしたいです。
平⼦ : 僕が薫さんから聞いて記憶に残っているのが「数字が踊ってしまう」という話。クリエイティブな⼈の才能が端的に現れていると思いました。
薫 : ⼩学校の時は勉強ができなくて、特に算数が苦⼿でした。クリエイティブな美術や図⼯は評価がされにくくて、国語や算数ができる⼈の⽅が素晴らしいという流れだったんだよね。
平⼦ : 僕らの時代もそうでした。
薫 : でも、私はものを作るのが⼤好きでひっそり楽しんでいた。⾼校もデザイン科にしか⾏かないと決めて、多治⾒⼯業⾼校のデザイン科に⼊りました。変わった先⽣が多くて、作家をしながら教えている⼈ばかりだったから⽣徒たちの気持ちが分かる。
⻑⼭ : 「勉強しろ」しか⾔わない先⽣とは違った。
薫 : そう、⾃分が100%出せたから⾼校時代が⼀番楽しかった。そこから芸術系の短⼤に進んで⽴体物を学んで、2年⽣で陶芸を専攻しました。

薫さんは、多治⾒市市之倉という窯元が多い地域の⽣まれです。陶芸に進んだのは、家業がやきものに関わっていたことが影響しているんですか?
薫 : それは影響している気がします。⼩学校のコンクールでも、⼟の作品で6年間ずっと選ばれていたんですよね。
平⼦ : 元々、家系にクリエイティブな系譜があったんですか?
薫 : 私はお⺟さんの影響が強いと思う。お⺟さんは絵をずっと習っていたし、おやつも⼿作りだった。保育園のバッグもステンシルでキャンディキャンディが描いてあったの。その頃は嫌だったけれど、いま⾒るとすごくかわいい。まだ残してあります。
⻑⼭ : すごい!
薫 : でも、その頃は周りの⼦たちがすごく羨ましくて。うちのおにぎりは⽵⽪に包んであったから貧乏なんだと思っていました。
健⼀ : うちはアルミホイルが買えないんだって思うよね。
平⼦ : むしろ豊かなんですけどね。美意識がしっかりある。

薫 : 短⼤を出てから雑貨デザインがしたかったけれど、デザイン事務所に⼊ってクルマのエンジン内部のイラストを描いていました。でも、雑貨のデザインができる会社を探し続けて2年後に⾒つかって。お弁当箱やレターセット、プールバックとかいろんなものをデザインしました。キャラクターを作るとファンレターが届くんです。パンダのキャラクターに「すごくかわいくてうれしい」と中⾼⽣からお⼿紙が来るの。
⻑⼭ : 楽しそう!
薫 : その頃、短⼤時代の友だちとグループ展もやっていて、久しぶりに⼟を触ったらすごく楽しくて。会社を辞めてもう⼀回、⼟の勉強をしたいと思った。
平⼦ : すごい。会社が楽しかったのに決断できたんですね。
薫 : 仕事は楽しかったけれど、会社で作る量産ものじゃなくて⾃分の⼿で作ってみたいと思った。それで意匠研究所を思い出して、⾒学に⾏って試験を受けました。それが24歳の時です。
⾃分がつくる「何か」を陶芸では⾒つけられなかった

陶芸を学ぶ多治⾒市陶磁器意匠研究所。そこでお⼆⼈は同期だったんですよね?
薫 : 同期でした。当時は、意匠研浪⼈するほど競争が激しかった。いろんなことをいっぱい教えてもらえる⼀番いい時代だったかもしれない。
健⼀ : 美⼤出⾝の先⽣もいるけれど、カリキュラムの先⽣は業界のおじいさんたち。ろくろの先⽣、染付の先⽣、上絵付けでも三彩を描く先⽣とかね。でも、協調性を求められた時代でもあった。
薫 : 私はろくろで器が作りたかったけれどオブジェの教育だった。いま思えば、やりたいなら器を作ればよかったけれど流されちゃった。その中でも注器(ちゅうき)の授業は⼤好きだった。卒業してからはメーカーに就職して、毎⽇ろくろを挽いていました。同時に作家活動をしていたけれど、いまのように売ってくれるお店が少なかったから売り込みにも⾏きました。
健⼀ : 東京にリュックを背負って売り込みに⾏って。でも、厳しいことを⾔われてね。
薫 : お店から駅に戻る途中、⼈格を全て否定されたような気持ちになって涙が⽌まらなくなったこともあった。でも、きっと良かれと思って⾔ってくれたんだと思う。⻘⼭のギャラリーでは楽焼の作品を評価してくれて、グループ展をやらせてもらいました。

健⼀ : 炭化の楽焼もやったし、耐熱で⼟鍋やミルクパン、⽕にかけられるポットのオーダーも来ていたよね。当時は、作家が耐⽕耐熱のものを作るのは珍しかった。誰もやってないからいいところついているし、薫の⼿にも合っていることをやっているけれど評価されるまで待てないんだよね。
薫 : ある店主さんからは「すごく器⽤で完成度が⾼い。でも器⽤貧乏だから“これ”というものがあった⽅がいい」って。同じようなことをいろんなギャラリーで⾔われたの。「これは全部あなたが作っているんだろうけど、どれもあなたが作ってないようにも⾒える」と。
⻑⼭ : 厳しい指摘ですね。
健⼀ : 店としては「この⼈はこれ」を作ってもらう⽅が売りやすいけど、美濃って何でもやれる地域だよね。例えば、魯⼭⼈だって⼈の家の窯を借りて焼いたものが⾃分の作品と⾔っているからいろんな焼き⽅ができていたし、⼩⼭冨⼠夫でもそう。薫の好きな川喜⽥半泥⼦も⾃由にやっていた。けれど、陶器が売れていた時代ではそれが通⽤しなかった。
薫 : それでもやり続ければよかったけれど押しつぶされちゃった。織部とか志野だとか「何か」というものが、私は陶芸では決められなかった。
平⼦ : なるほど……。

薫 : 声をかけてくれて個展をさせてもらった時は、そのお店として売りやすい「何か」を⾃分の中で作ったの。でも、それをやっていたらすごく苦しくなっちゃって、ある⽇爆発した。調⼦が悪くなって鬱っぽくて1年半くらい作れなかった。その間も「待つから⼤丈夫」とずっと⾔ってくれていて。でも待たせている⼈にも悪いし、喘息の発作も起きて。
⻑⼭ : それは⼤変でしたね……。
薫 : 朝まで発作が⽌まらなかった。しかも作業場に⾏くと⾜が震えて⼊れない。そうしたら⼩平くんが「作業場にあるものを全部捨てればいい」って。「薫が陶芸に殺される」と⾔っていました。でも、捨てられなかったの。
健⼀ : ……俺はあまり覚えていないんだけどね。 笑
薫 : それが30代の前半。その頃にNEU!でやっていた「ちゃぶ台ヨガ」に⾏って、不久先⽣に出会ったの。

陶芸家の杉⼭亜花莉さんの座談会でも話題に出ていたヨガの先⽣ですね。
薫 : 当時は⽣活できるくらいの注⽂量をもらっていたから、無理して作ってボロボロになって「機械になっちゃった」という気持ちだった。だから、先⽣に「作業場にも⼊れない。どうやって⽣きていけばいいんだろう。陶芸は⾃分が“出来ること”だったのに機械になっちゃった」と話したの。そしたら「いいじゃない。そんなにたくさん⾃分の⼿から作れるんだよ」と⾔ってくれた。先⽣が「⾃分は⾃分のままでいいんだよ」と話してくれたのが⽬から鱗で。そんなことを⾔ってくれる⼤⼈はいままでいなかった。
平⼦ : それは⼤事な出会いでしたね。
薫 : ⼩さい時から勉強ができない、あなたはダメという烙印を押されて、唯⼀できる美術も褒めてもらえなかった。⾃分をダメな⼦と思っていたから認めて欲しかったのかも。
健⼀ : ⼤⼈たちに褒めてもらえない経験をしてから不久先⽣に出会った。俺は何をやっても「薫、天才じゃない?」としか⾔わないけれど、結局は⾃分で⾃分のことを認めてあげないといけない、というところに⾏き着いたよね。
薫 : そこは学んだことだよね。この10年で先⽣から教えてもらった。
場所に出会い、「茶菓⼩」の名前が⽣まれるまで

薫 : 陶芸を離れてから、友⼈の紹介でギャルリ百草のカフェで働くことになったんです。 そこで久々に百草の安藤さんにお会いしました。料理はずっと好きだったけれど「お客さんに出すものなんて作れない」と私が⾔ったら、安藤さんが「⼤丈夫。やきものをやってきているからできるよ」と⾔ってくれたの。
平⼦ : すごい。
薫 : 百草での4年半は企画展に合わせてランチを作っていて、すごく楽しかった。私は器を決めて、盛り付けて出す流れが好きだから、働いているうちに⾃分のお店でやってみたくなった。友だちの器や美濃の⼈たちの作るもので店がやりたいと思っていたら、この家が⾒つかった。ちょうど百草を辞めるタイミングでした。
もともとは⼟岐にお住まいで、多治⾒に引っ越してきたんですよね。
健⼀ : そう、薫はずっと⼀軒家に住んで⾃分のお店をしたいと⾔っていた。安⼼してお⾦がかけられるように借家じゃない家に引っ越したいって。俺は引っ越すなら飲みに⾏って歩いて帰れるところならいいよ、という話で⾒つかった家だった。そのタイミングで俺も窯元の会社を辞めた。
薫 : 家は10年くらい探していたよね。真剣に探し始めたのはオープンの5年前で、多治⾒だけじゃなくて⼟岐、瑞浪くらいまで考えていて。
平⼦ : いろんなタイミングが合って物件に引き寄せられたんですね。僕は「茶菓⼩」という店名を聞いた時の衝撃が忘れられない。なんていい名前をつけるんだろうって。
茶菓⼩という店名は、どんな⾵に思いついたんですか?
薫 : ここではランチもやりたかったんだけど、⼀⼈でやれるか分からなかったから、お菓⼦とお茶を出すこじんまりしたお店をやろうと思ったの。だから「茶菓」とつけたくて。
健⼀ : 俺の秀逸なアイデアは「サンブレラ」。ここが三笠町だから。ブレストとして薫にたくさん球を投げたけれどダサいって⾔われ続けた。笑

薫 : 「⼩」の⽂字も好きで。⼩さいものが好きだし、⾃分は⼩平だし。あとは、この家に住んでいた⽅が⼩島さんだった。家が⾒つかった時、ありがとうという気持ちがすごくあったから⼩の字をつけようと思って「ちゃかこ」にしたら響きがかわいかった。
健⼀ : そういうところが天才なんだよ。でも、天才が発動するまでがすごく⼤変。オープンが差し迫っていても全然決まらない。茶菓⼩のロゴを⼿描きにしようとずっとお習字をしていた時、突然「あっ!」って葉っぱを拾ってきた。
薫 : 庭にある葉っぱで、茶菓⼩の書体を作りました。
平⼦ : アーティストですね。
茶菓⼩。ほんとうに、いい名前ですよね。⼩さな店の雰囲気もすごく落ち着きます。
薫 : 陶芸での経験があったから、もう無理はしない。⾃分のできる範囲でやろうと決めて、週2だったら営業できると思いました。それで続けられているし、いまのところ楽しくやれています。

やっと⾒つけた「やりたいこと」の先にあるもの

平⼦ : これは野暮な質問ですが、薫さんは素敵な器を作られていて、以前は⾃分の器で料理を出したいという思いもあったじゃないですか。⾃分の店ができても、器を作らないのは何か考えがありますか?
薫 : 作りたいという気持ちは湧いているけれど時間を取るのが難しい。でも、いま中国茶教室に通い始めたから茶器を作りたいな〜って、ぼんやりと思っている感じ。
健⼀ : 薫は次にやりたいことが⾃分の中から湧いてくる。茶菓⼩のかたちで⾔うと、物販もやりたいと思っているんですよ。薫が選んでくるものは⾯⽩いし、それを⾒てもらったり売ったりする空間が作れたら、ということを思いついたりする。5年先の将来に向けて、そういうビジョンがあります。
薫 : 壁を抜いて、⼩さい部屋を作ろうかなって。席がいっぱいの時でも、ものを⾒ながら待ってもらえるように。
平⼦ : 茶菓⼩ファンはすごくうれしいんじゃないですか。
健⼀ : 薫の仕事が広がれば広がるほど、ますます俺のいる場所がなくなるから、裏にあるやきものの作業⼩屋も改造しないといけないね。笑

茶菓⼩さんが始まっていまに⾄るまで、⾃分がやりたかったことが実現できていますか?
薫 : はい。⼀番気持ちよく働いているかも。私はやりたいことをパッと⾒つけられなかったけれど、いろんなことを経たからこそ分かった。……最初からやりたいことを⾒つけられる⼈っているのかな?
平⼦ : それは⽇本の教育の問題も含まれていますよね。薫さんみたいなタレントを伸ばすことが今後の課題だと思う。
薫 : でも、時代は良くなったと思う。「⼀つのことをやることが美徳」みたいな考えがもう無い。いまは評価されるのが早いし、たくさんのことをしても何にも⾔われない。⾃分で決めたなら何でもやればいい。
多治⾒には、陶芸をやりながらヨガをやっている⼈もいるし、タナカリーみたいに⼟器を作りながらカレー屋さんをやっている⼈もいる。
薫 : そう。だから、ものすごく楽になった。何でもやろうという気持ちはあります。
健⼀ : むしろ⼀つの仕事じゃ⽣きていけない時代かもしれないけれどね。逆に、何でもできるけれど「やりたいことがない」と悩んでいる⼦どもたちもいる。

いままでの話を聞いていて、薫さんにとっての経験は全て必要なステップだったと感じます。いろんなことに携われたからこそ、いまがある。
平⼦ : 僕らは座談会を通じて、皆さんのことを知れてすごくうれしいです。それをお客さんに押し付けるべきではないけれど、哲学を持って何かを営む⼈たちが⼤事にされていく世の中になってほしい。特に飲⾷店は真⾯⽬にやればやるほど採算性や合理性から離れていくじゃないですか。器も同じような側⾯がある。周りのみんながそこを理解していかないと無くなってしまう。
薫 : 「安いからこれが使える」と考えていたらできなくなる。計算ができなくてよかった。計算ができる⼈だったら考えちゃうから。笑 ありがたいことに環境があるし、⾃分はこの場所を作れたからこそできている。
健⼀ : そうだね。

最後に、PRODUCTS STORE に期待することを聞かせていただきたいです。
薫 : PRODUCTS STOREは、1階に量産、2階に作家の両⽅を扱うのがすごくいい。最初は、多治⾒に作家さんの器が⾒られるところは陶林春窯さんしかなかったけれど、新町ビルができて、PRODUCTS STORE ができて、それぞれ違う作家さんたちを扱っているのもすごくいい。
平⼦ : さらに、かまや や THE GROUND MINO もできたからすごくいい状態。皆さんとつながって店をやれているのはありがたいです。
薫 : みんな仲良くつながっているのもすごくいいこと。飲⾷の⼈がつながれているのも珍しい。すぐに相談できるから助けられてきた。
健⼀ : おそらく⼀⼈で飲⾷店を始めると⾃分で課題を⾒つけては悶々として、お客さんとの対応で解消しきれない悩みとかが⽣まれるんだけど、すぐ聞きに⾏ける⼈たちがたくさんいるもんね。愚痴れるのも⼤事な発散だと思う。

今回の座談会でも、⼈と⼈のゆるやかなつながりが多治⾒の魅⼒だという視点も出ています。
健⼀ : 産業の⽬線で⾔うと、計らずに束ねられている組合やグループの中での難しさや息苦しさじゃなくて、同じような価値観の⼈たちのユニオンみたい。それが居⼼地いいんじゃない?
平⼦ : 確かにそうかもしれない。
健⼀ : でも多治⾒を「いいまち」と⾔う⼈たちは、まちの中でもマイノリティでしょ。そこに PRODUCTS STORE がコミットしているのが不思議。平⼦くんが多治⾒のみんなに対して⼼底⾯⽩がっているから会社としての⾯になっているんだと思う。
平⼦ : 僕も根本的には稼ぐことに対する貪欲さが薄い。許容できる範囲や提供できるサービスと対価のバランスは課題としてはあるけれど、魂を売ってまでやる必要ないこと、どこを⾃分の境地にするかは、皆さんから学んでいるところが多い。
健⼀ : まちのグラデーションとして、PRODUCTS STOREはすごく⼤事なポジション。川の向こう側の⼩商いの⼈たちがいろいろやってるわ〜で済んでしまうところを、PRODUCTS STORE がマジョリティへつながるきっかけになっている。それはラインナップやMDもそう。プロダクトから作家ものというグラデーション。ビジネスとして成⽴させることと、魂を売ってまでもと考えること。産業と作家、プロダクトと作家……も含めてグラデーションの⼤事な位置を担ってもらっていると思う。
⻑⼭ : ありがとうございます。
健⼀ : これからもその⽴ち位置を守ってほしい。そして、グラデーションとして隣の⽴ち位置の店が増えていったら幅が広がる。多治⾒にはまだ⼈⼝が10万⼈いるわけだから、10万⼈が内側を向いたらもう少し変わると思うんだよね。僕は、コダケンランチで得た売上は多治⾒の中で使うし、やきもので得た売上はやきものに投資しようと思う。「多治⾒の中で使おう」と10万⼈が思ったら、みんな⽣きていける。

平⼦ : ⼩さな経済はすごく⾯⽩い。飲⾷店の中で循環しているし、コダケンランチに来ればみんながいる。決して慣れ合っているわけじゃなく互いにリスペクトがある。
健⼀ : 「俺が⼀⼈でもまちの経済を回していく」という気持ちがある⼈がいる。家やクルマのような⼤銭を使ってくれる⼈たちもいるけれど、僕らは頑張って多治⾒の中で⼩銭を使う。
平⼦ : まちの中で⽣まれるコミュニケーションにも救われているし、週末に茶菓⼩のケーキを買って帰れば家庭の平和が保たれる。どこのキャロットケーキよりもおいしいと思っています。いずれうちの娘が、⼩学校が終わったら茶菓⼩で休憩して帰ってきたらいいな。
健⼀ : そうなったら⾯⽩いね。お茶⼀杯だけ飲んで帰る。
薫 : 皆さんが美味しいと⾔ってくれるから、それで頑張れています。
平⼦ : 貴重なお時間をいただいて、ありがとうございました。茶菓⼩としてこれからの5年のイメージを持っていることがとてもうれしいです。

benとの往復書簡
「茶菓小」
一見するとbenとは対照的な茶菓小。
町に同居している様は、
街の懐の深さを計り知ることかもしれない。6席の茶菓小でのお客さん達は、
混み合った様子を伺っては、
「また来るね」と一言だけ残したり。
そんな様子を感じとって、
席を立ち譲り合うなんていう、
微笑ましい光景も伺い知れる。
きっとそれは生活に根付くお店の、
永く愛される風景です。